第49回 日本オペラ界の黒船 第1回イタリア歌劇団

日本オーケストラ界の「黒船」が1955年に来日したシンフォニー・オブ・ジ・エア(旧NBC交響楽団)だったとすれば、オペラ界の「黒船」は疑いなく1956年秋にNHKの招きで来日した「第1回イタリア歌劇団」であったろう。アントニエッタ・ステルラ、ジュリエット・シミオナート、ジュゼッペ・タッデイらのスターをはじめとする17名の歌手が来日し、ヴィットリオ・グイとニーノ・ヴェルキが指揮、ブルーノ・ノフリが演出した。いっぽう日本側からは、NHK交響楽団と二期会と藤原歌劇団の合唱と東京放送合唱団、バレエ団、何人かの日本人歌手(伊藤京子他)が協演した。演目はヴェルディの「アイーダ」および「ファルスタッフ」、プッチーニの「トスカ」、モーツァルトの「フィガロの結婚」だった。

 

招へい元のNHKは、各演目の初日をすべてテレビで生中継し、AMラジオ(FM放送は未だなかった)でも連日のように録音を放送した(当時のNHKのクラシック音楽への力の入れようは本当に素晴らしかった!)。おかげで、劇場へ観に行けぬわれわれも大いにその恩恵に浴したというわけである。ただし、我が家にはまだテレビがなかったので、その都度、テレビを備えている親類の家へ押しかけては、先方の家族と一緒にみんなでオペラを観たのであった(そういう時代だったのだ)。

 

画質の悪い白黒テレビではあったけれど、それで「アイーダ」を観た時のあの感激をどうして忘れられよう。筆者はイタリア人歌手たちの声の凄さに熱狂していたが、しかし母や叔母たちの驚きは、専ら女声歌手の、それも特にアイーダ役のアントニエッタ・ステルラの体格の立派さ(今だったらどうとも思わないことだが)に集中し、「凄いわねえ」という声で沸き立っていた。彼女たちは、その後も寄るとさわると「こーんなだったわね」と肩の筋肉を盛り上げるジェスチュアをして笑い合っていたほどである。

 

第2幕の「凱旋の場」で、エチオピア王アモナズロ役のジャン・ジャコモ・グェルフィが、その雲つくような巨体を揺るがせながら登場してきた瞬間には、叔母たちが「オー」と驚愕の声を上げた。事実、彼の姿はまるで怪物のようにさえ見えた。その巨大な彼を「両側から腕を抑えて引き立てていた」兵士が、簡単に振り飛ばされそうに思えるほど「小柄な日本人」だったから、その光景はますますアンバランスに見えたのである。「大きな外国人」と「小柄な日本人」という概念がまだ一般的だった戦後まもない日本ならではの現象と言えようか。

 

このグェルフィの登場場面については、その第1回イタリア歌劇団で東京放送合唱団の一員として歌っていたバスの岡村喬生さんが、最初のリハーサルの際の面白いエピソードを伝えている——おそろしく身体の大きな男が、つかつかと客席から舞台に上がって来て、「スオ・パードレ」(わしが彼女の父だ)という第一声を放った。「オー」というため息と嘆声がわれわれの口から洩れた。それはわれわれコーラスが力いっぱい歌ってきた音量を吹き飛ばしてしまうような、ものすごい美声だった。しかも彼は、「パードレ」の「パー」をえらいボリュームで歌い始め、それを何と、更に大きくしながら、指揮者のグイが頭をかいて指揮棒を下ろして待つ間、延々と伸ばし続けた——というのである。
合唱の面々はいっぺんに自信を喪失してしまい、楽屋に戻ると「オレ、もうやめたい」と言い出す者も出て来たという。そこへ合唱指揮者の森正さんがあたふたとやって来て、「君たち心配するな」と必死に慰め……と続くのだが、しかし岡村喬生さん自身はそのあとに「よし、オレもああいう凄いオペラ歌手になろう」と決心した、というのだから、強気もいいところである(新潮社刊 岡村喬生著「ヒゲのオタマジャクシ世界を泳ぐ」より自由に引用)。

 

筆者が「アイーダ」の音楽をじっくりと聴いたのはそれが最初だったが、最も印象に残っているのが、ラダメス(ウンベルト・ボルソ)とアイーダ(ステルラ)が「立て!ナイルの河の聖なる岸辺に」のアンサンブルを歌う個所である。今でもそのテレビの画面で視た光景とともに思い出すのだが、ラダメスが堂々と主旋律を歌うのに対し、いっぽうのアイーダがリズムをずらせて対旋律を変奏風に歌っているのが不思議で、初心者ながらも、妙にその音楽が耳についたものだった。実は、アイーダがラダメスに「勝ちて還れ」と願うことは、彼女の祖国エチオピアの敗北を願うことにもなるのであり、従ってラダメスに合わせながらも同じ旋律を歌うことはできないのだ——と理解できたのは少しあとになってからのこと。ヴェルディって凄いことをやるものだ、いやオペラってのは巧い表現をするもんだ、と心底から感動した。
そして、2人の二重唱に続き、王女アムネリス(シミオナート)が歌い出す旋律の曲調が突然威圧的なものに変わるのも、この場における彼女の立場をはっきりと表わすがゆえなのだ、と感心したのも、その時のことだった。

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東条 碩夫

とうじょう・ひろお

早稲田大学卒。1963年FM東海(のちのFM東京)に入社、「TDKオリジナル・コンサート」「新日フィル・コンサート」など同社のクラシック番組の制作を手掛ける。1975年度文化庁芸術祭ラジオ音楽部門大賞受賞番組(武満徹作曲「カトレーン」)制作。現在はフリーの評論家として新聞・雑誌等に寄稿している。著書・共著に「朝比奈隆ベートーヴェンの交響曲を語る」(中公新書)、「伝説のクラシック・ライヴ」(TOKYO FM出版)他。ブログ「東条碩夫のコンサート日記」 公開中。

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