~94~ 2024年、日本のオーケストラ界を振り返って

新日本フィルハーモニー交響楽団とのラストを「レニングラード」で締めくくった井上道義=同フィル11月定期より (C) 大窪道治
新日本フィルハーモニー交響楽団とのラストを「レニングラード」で締めくくった井上道義=同フィル11月定期より (C) 大窪道治

2024年のオーケストラ界の出来事で最も衝撃を受けたのは小澤征爾の逝去であった。筆者が小澤の訃報に最初に接したのは、2月9日の読売日本交響楽団の定期演奏会だった。演奏会の途中休憩のあと、当日の指揮者、山田和樹がステージから聴衆に偉大なマエストロの死を告げたのであった。しかも、そのとき、これから演奏しようとしていた曲が、小澤征爾が1967年にニューヨーク・フィルで世界初演した武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」であった。何か偶然とは思えないような巡り合わせを感じた。

その山田和樹は、5月にシカゴ交響楽団にデビューし、11月にニューヨーク・フィルにもデビューした。そして、2025年6月のベルリン・フィル・デビューも発表された。また、2024年度、バーミンガム市交響楽団の首席指揮者から音楽監督に昇進した。そのほか、5月にもう一つのパートナーであるモンテカルロ・フィルの日本公演も成功させている。まさに、若き日の小澤征爾を想起させる活躍である。

創設者であり、総監督である小澤征爾を失ったセイジ・オザワ 松本フェスティバルは、沖澤のどかを首席客演指揮者に迎え、新たな時代をスタートさせた。沖澤は、メンデルスゾーン、R・シュトラウスのプログラムによるサイトウ・キネン・オーケストラの音楽祭開幕演奏会だけでなく、体調不良で来日できなかったアンドリス・ネルソンスの代役でブラームスの交響曲第1番と第2番を指揮し、聴衆に強烈な印象を残した。

小澤はいなくなったが、世界最高峰の巨匠が来日し、じっくりと日本のオーケストラを指揮していったのは非常に意義深いことであった。リッカルド・ムーティは、4月に東京・春・音楽祭で若手中心の東京春祭オーケストラを指揮して、ヴェルディの「アイーダ」を演奏会形式で上演。そして9月に再び来日して「イタリア・オペラ・アカデミー in 東京」で同オーケストラと共演。「アッティラ」を指揮して、このヴェルディの初期のオペラの真価と魅力を大いに示した。この公演では、イルダール・アブドラザコフやフランチェスコ・メーリなど歌手陣も本当に見事であった。

また、97歳のマエストロ、ヘルベルト・ブロムシュテットが2年振りに来日し、NHK交響楽団を相手に3つのプログラムを披露したのも素晴らしかった。ベルワルドの交響曲を含む北欧プログラム、ブラームスの交響曲第4番、そして、シューベルト・プログラム。どれをとってもN響と世界トップ・レベルの演奏を繰り広げていた。

来日オーケストラでは、ヤニック・ネゼ=セガン&METオーケストラ、サイモン・ラトル&バイエルン放送交響楽団が、ともにコンビとしての初来日を果たし、METオーケストラはオペラ「青ひげ公の城」で、バイエルン放送響はブルックナーとマーラーで圧倒的な名演を披露した。

そのほか、今年限りで指揮活動から引退する井上道義が、オペラ「ラ・ボエーム」のほか、ショスタコーヴィチ、ブルックナーなどで、記憶に残る名演を続けた。

2024年、小澤征爾の逝去と井上道義の引退で、日本のオーケストラ界は、大きな2つの星を失ってしまった。

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山田 治生

やまだ・はるお

音楽評論家。1964年、京都市生まれ。87年、慶応義塾大学経済学部卒業。90年から音楽に関する執筆を行っている。著書に、小澤征爾の評伝である「音楽の旅人」「トスカニーニ」「いまどきのクラシック音楽の愉しみ方」、編著書に「オペラガイド130選」「戦後のオペラ」「バロック・オペラ」などがある。

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