レイフ・オヴェ・アンスネス ピアノ・リサイタル

芳醇(ほうじゅん)なタッチで率直に奏でられたロマン派のピアノ音楽

アンスネスのリサイタルは当初発表されていたものから、グリーグとシューマンとショパンに変更、ロマン派のピアノ音楽の一つの潮流が示されるプログラムとなった。

レイフ・オヴェ・アンスネスが、ロマン派のピアノ音楽の一つの潮流を示すプログラムを披露した (c)Junichiro Matsuo
レイフ・オヴェ・アンスネスが、ロマン派のピアノ音楽の一つの潮流を示すプログラムを披露した (c)Junichiro Matsuo

グリーグのソナタの冒頭、たっぷりとした音が筆者のいる2階席にまっすぐ飛んでくる。ソナタだからか、フォークロワ的な側面はさほど強調されない。「ペール・ギュント」に出てきそうなリズムも然り。第2楽章のロマンティシズムの薫りに満ちた〝歌〟がすばらしく、副主題あたりから即興的な趣が出てきて、下行のパッセージの暗い音色が印象的な陰影を添える。残りの楽章も同様。表現は極端に走らず、弾き手の心が音楽の情感と合致した説得力がある。

シューマンの「謝肉祭」で気持ちがさらに入る。〝前口上〟は重厚なタッチでゆっくりと弾き出される。豪奢な響きに適った遅めのテンポだが、続く〝ピエロ〟や〝アルルカン〟は俊敏。輝かしいけれどもナイーヴな〝オイゼビウス〟、哀愁色濃い〝フロレスタン〟、歌心あふれる〝ショパン〟。面白かったのは〝スフィンクス〟(第8曲〝返答〟と第9曲〝パピヨン〟の間に置かれた謎に満ちた3種類の音形譜例)。弱音でゆっくり地底に沈んでいき、最後は沈黙へと至る。謝肉祭のパレードの登場人物たちが瑞々しいタッチで詩情豊かに描かれ、〝ダヴィッド同盟の行進〟が突風のごとく走り去る。

シューマンの「謝肉祭」では、パレードの登場人物たちが瑞々しいタッチで詩情豊かに描かれた (c)Junichiro Matsuo
シューマンの「謝肉祭」では、パレードの登場人物たちが瑞々しいタッチで詩情豊かに描かれた (c)Junichiro Matsuo

休憩後のショパンの24の前奏曲は次々と変わるシーンの連続を見ているようなところがあるが、楽器を十分に響かせつつ先に進むので、悠然としてスケールが大きい。第1番は豊かな響きに導かれるように始まり、第2番は右手の旋律をくっきり浮かび上がらせる……。遣(や)る瀬(せ)無い思いを訴えるような第13番、第15番「雨だれ」の甘美な雫、ずしりと心に響く低音と迫真のクレッシェンド。激昂する第22番、束の間まどろむ第23番、そして輝かしくもスケールの大きな終曲の、地響きを立てて打ち鳴らされる3つの鐘の音。外面的な演奏効果を狙わず、表現は率直にして調和がとれ、弾き手の人柄を感じさせるフレージングとともに強い表出力を持つ。これはこの日の全プログラムに通じるもので、3人の作曲家が一つの線で繋がった思いがした。

全プログラムで貫かれた率直にして調和がとれた表現、弾き手の人柄を感じさせるフレージングが強い表出力を持っていた (c)Junichiro Matsuo
全プログラムで貫かれた率直にして調和がとれた表現、弾き手の人柄を感じさせるフレージングが強い表出力を持っていた (c)Junichiro Matsuo

アンコールは3曲。「沈める寺」は柔らかな音色で奏でられ、〝作曲家の線〟をさらに拡張。「ノルウェーの農民行進曲」では愉悦に富んだ力強いリズムとサウンドでアンスネスの北欧気質が全開。幸せな聴後感とともにリサイタルを終えた。

(那須田務)

公演データ

レイフ・オヴェ・アンスネス ピアノ・リサイタル

10月30日(木)19:00東京オペラシティ コンサートホール

ピアノ:レイフ・オヴェ・アンスネス

プログラム
グリーグ:ピアノ・ソナタ ホ短調 Op.7
シューマン:謝肉祭Op.9
ショパン:24の前奏曲Op.28 

アンコール
ドビュッシー 前奏曲集 第1集より「沈める寺」
ラフマニノフ:練習曲「音の絵」Op.33-2
グリーグ:抒情小品集 第5集より「ノルウェーの農民行進曲」Op.54-2

他日公演
11月 1日(土)14:00横浜市青葉区民文化センター フィリアホール
11月 3日(月・祝)14:00兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール

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那須田 務

なすだ・つとむ

音楽評論家。ドイツ・ケルン大学修士(M.A.)。89年から執筆活動を始める。現在『音楽の友』の演奏会批評を担当。ジャンルは古楽を始めとしてクラシック全般。近著に「古楽夜話」(音楽之友社)、「教会暦で楽しむバッハの教会カンタータ」(春秋社)等。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン理事。

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