細部にこだわりながら見事に総合された「運命」
ウクライナ出身で、欧州各地で高く評価される女性指揮者、オクサーナ・リーニフ。東京・春・音楽祭の「蝶々夫人」で、読売日本交響楽団と初共演したのに続き、名曲シリーズに登場した。「蝶々夫人」でとりわけ感心したのは強弱の付け方だった。オーケストラがピットに入っていないのに、音量が細かく調整されて歌手の声がかき消されない。それは言い換えれば、デュナーミクを変化させる際に、歌手の声も連動させているということ。音楽によるドラマの構築上、極めて真っ当な手法である。

そして交響曲を指揮する際にも、リーニフの最大の特徴はデュナーミクにあった。
とにかく細部にこだわる。この日のメインはベートーヴェンの交響曲第5番「運命」で、早めのテンポで流麗に進行したが、そのしなやかな流れは、作り込まれた細部の集積だと感じられた。一つとして平板に流れる音はなく、アーティキュレーションが微に入り細に入り表現され、すぐれた歌唱のように強弱のメリハリがなめらかにつけられる。
一昨年、インタビューした際(それはプッチーニの指揮に関してだったが)、「旋律美のほかに、ライトモチーフやオーケストレーションを強調したい」と語っていた。その指向性はベートーヴェンの指揮においても変わらず、主題に無限の表情をつけるアーティキュレーションとして実現された。

しかも、その細部が彼女の身体の動きのままに、見事に総合されるのだ。指揮台でバレエでも踊るかのように躍動的かつ柔和に動き、その動きのままに凝った細部がしなやかに流れる。特に第2楽章は指揮棒を台に置き、全身を優雅に操ったが、その動作が絶妙なテンポの揺れをふくめて見事に音に反映されるので、感じ入った。また、このしなやかな動きの延長に、第4楽章の鮮やかな爆発も組み込まれている。だから、力で押さずとも自然に生成する。力強くも美しい「運命」だった。
それにくらべると、前半のブラームスのピアノ協奏曲第1番は、統一感に欠けるところもあった。リーニフならではの、細部にこだわったオーケストラの繊細で豊かな表情は、音楽を大きくとらえて構成するルーカス・ゲニューシャスのピアノと、方向性のずれが若干あるようにも聴こえた。

しかし、個人的にはそれがおもしろかった。ウクライナの指揮者とロシアのピアニスト。むろん、双方が納得のうえでの共演だろうが、この小さなズレを許容することが、すなわち平和なのではないか。そんな思いにも導かれた。
(香原斗志)
公演データ
読売日本交響楽団 第681回名曲シリーズ
4月16日(水)19:00サントリーホール 大ホール
指揮:オクサーナ・リーニフ
ピアノ:ルーカス・ゲニューシャス
管弦楽:読売日本交響楽団
ゲストコンサートマスター:小川響子
プログラム
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番ニ短調 Op.15
ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調 Op.67「運命」
ソリスト・アンコール
シューベルト:メヌエット嬰ハ短調D600

かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。