熟成を重ねてなお、明るい魅力をたたえて ダムラウ&テステ オペラ・アリア公演

ディアナ・ダムラウ(右)とニコラ・テステ (C)池上直哉
ディアナ・ダムラウ(右)とニコラ・テステ (C)池上直哉

ディアナ・ダムラウが夫君ニコラ・テステと6年ぶりの来日を果たした。パーヴェル・バレフ指揮東京フィルハーモニー交響楽団とともに名曲の数々を紡いだ公演の様子を、音楽&オペラ評論家の香原斗志さんにレポートしていただく。

鮮やかなコロラトゥーラや超高音を得意とするソプラノがキャリアを重ね、声が成熟したときにどこへ向かうか。アンナ・ネトレプコのように本格的なドランマティコまで包含してレパートリーを広げる歌手は、むろん例外で、いわゆるリリコの、さほど技巧的でない役に軸足を移すケースと、ドランマティコ・ダジリタ、すなわち小さな音符の連なりを敏しょうに歌い抜けながら劇的な表現も求められる役に進出するケースが多いと思う。

 

ディアナ・ダムラウはあきらかに、後者の方向に進んでいる。50歳を超えたこのディーヴァが6年ぶりに来日して、私生活のパートナーでもあるフランスのバス、ニコラ・テステと一緒に歌ったオペラ・アリア・コンサートのプログラムには、ドニゼッティ「マリア・ストゥアルダ」の二重唱〝私のタルボ!〟や同「アンナ・ボレーナ」の〝ああ、この純真な若者は〟、そしてベッリーニ「ノルマ」の〝清らかな女神よ〟など、ドランマティコ・ダジリタのための曲が目立った。ロッシーニ「セミラーミデ」の〝麗しい光が〟も、タイトルロールを初演したイザベラ・コルブランの劇的な声に合わせて書かれており、ドランマティコ・ダジリタの曲と呼んで差し支えない。

 

熟成を重ねた声のために慎重に選ばれたと思われる曲も、「超」がつく難曲ばかりだが、たとえば「セミラーミデ」のめくるめくアジリタも、相変わらず鮮やかに駆け抜ける。「アンナ・ボレーナ」では強い情念を、ディナーミクの変化も自在に表現し、洗練されたフレージングと相まって説得力があった。以前のような高音こそ望めないが、鮮やかな表現力は深みをまとって健在だ。

 

少し首をかしげたのは、「ノルマ」の〝清らかな女神よ〟を歌いはじめたときだった。よくコントロールされ、難曲ではあるが、いまのダムラウの声にとって重いと感じるわけでもない。しかし、巫女(みこ)長の崇高な祈りにしては、どこか明るいのである。それは彼女の声の特質によるのかもしれない。むしろ、ポリオーネへの思いとのあいだで揺れる心のうちを歌う後半のカバレッタのほうが自然に表現され、持ち前の明るさが秘めた恋心に昇華されたようだった。

 

女王や身分の高い母親、一族の精神的支柱たるべき巫女などよりも、愛の悩みを抱える若い女性にこそ、ダムラウらしさが表現されるのだろうか。そんな疑問はすぐに氷解した。アンコールで歌ったドニゼッティ「ドン・パスクワーレ」のノリーナのアリアでは、ダムラウの明るくコケティッシュな魅力が全開になり、底辺に明るさが漂う曲でこそ、彼女の本領がいっそう発揮されることにあらためて気づかされた。

 

一方、ニコラ・テステは、必ずしも声の豊かさに恵まれた歌手ではないが、響きはノーブルで歌唱フォームがしっかりしている。高音が少し薄いものの、たとえば、チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」の〝恋は年齢を問わぬもの〟のような、旋律をやわらかく淡々と歌う曲では、味わい深い声の魅力が生きる。

 

明るめのダムラウの声と、ノーブルなテステの声のバランスも、この晩の心地よさにつながっていた。アンコールの最後は、ダムラウの「春よ、来い」。歌詞をそらんじていて感心したが、同時に、彼女の表現の明るさという原点を、最後にふたたび確認させられた。

公演データ

【ディアナ・ダムラウ&ニコラ・テステ オペラ・アリア・コンサート】

5月23日(火)19:00 サントリーホール

ソプラノ:ディアナ・ダムラウ
バス:ニコラ・テステ
指揮:パーヴェル・バレフ
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

ロッシーニ:歌劇「セミラーミデ」より〝麗しい光が〟
ドニゼッティ:歌劇「マリア・ストゥアルダ」より〝私のタルボ!〟
チャイコフスキー:歌劇「エフゲニー・オネーギン」より〝恋は年齢を問わぬもの〟
ベッリーニ:歌劇「ノルマ」より〝清らかな女神よ〟他

公演ページ ⇒ https://www.japanarts.co.jp/concert/p2012/

香原斗志
香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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