「レルヒェナウのオックス」がスカラ座を征服〜キリル・ペトレンコ、「ばらの騎士」でスカラ座デビュー
リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」といえば、音楽も舞台もゴージャスなイメージがつきまとう。多様な演出が花盛りの今日でも、音楽には流麗さが期待されるのではないだろうか。
だがキリル・ペトレンコが指揮する「ばらの騎士」は違った。細部まで彫琢(ちょうたく)され、明瞭で古典的。音楽の力でねじ伏せようとするところは全くない。だからこそ、ドラマが香り立つ。演劇的なのだ。ドラマの大半を占める会話の言葉の美しいこと。だからこそ、時折の「歌」が生きる。最後の三重唱のどこまでも透き通った美しさ。続く「銀のばら」のテーマは天国からの梯子のよう。本公演でスカラ座デビュー(!)を果たしたペトレンコが満場の観客を魅了した瞬間だった。
今回の「ばらの騎士」が演劇的だったのは、2014年にザルツブルクで初演されたハリー・クプファーの演出のせいでもある。クプファーは時代を作品成立当時の20世紀初頭に設定。ウィーンの名所をモノクロ写真で投影して過去へのノスタルジーをあらわすと同時に、音楽に寄り添った細やかかつヴィヴィッドな演技で人物の心情を観客に引き寄せた。さらに初演前に検閲を意識してカットされた部分を復元したことで、とりわけオックス男爵のキャラクターが立った。老いた滑稽な役柄ではなく、タフで自信のある色男(「ばらの騎士」はもともと「レルヒェナウのオックス」というタイトルだった)。成人男性が演じた黒人の小姓がハンカチを嗅ぐ幕切れは、元帥夫人の次の恋人の出現を想像させる。ペトレンコの指揮がそれらの描写と一体化していたのはいうまでもない。
クラッシミラ・ストヤノヴァはクリーミーな声と豊かな表情で元帥夫人が生身の女性だと感じさせ、ギュンター・グロイスベックは力強く生命力に溢れたオックスを造形。ケイト・リンジーは柔軟で演劇性に富んだ声と闊達な演技力で男女を行き来するオクタヴィアン役を好演し、ザビーネ・ドゥヴィエルは光り輝く声とひたむきな演技で純なゾフィーを印象付けた。イタリア人歌手を歌ったピエロ・プレッティのイタリア的な発声が際立ったのは、この「ばらの騎士」が純粋なドイツ・オペラとして展開したからこそ。イタリア・オペラの殿堂が、「ばらの騎士」に魅了された一夜だった。
※取材は10月22日の公演
(加藤浩子)
公演データ
ミラノ、スカラ座 リヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」
全3幕 ドイツ語上演
10月15日、19日、22日、25日、29日ミラノ、スカラ座
指揮:キリル・ペトレンコ
演出:ハリー・クプファー(再演演出:デレク・ジンペル)
元帥夫人:クラッシミラ・ストヤノヴァ
オックス男爵:ギュンター・グロイスベック
オクタヴィアン:ケイト・リンジー
ゾフィー:ザビーネ・ドゥヴィエル
ファーニナル:ミヒャエル・クラウス
マリアンネ:カロリーヌ・ヴェンボルン
ヴァルツァッキ:ゲルハルト・ジーゲル
アンニーナ:ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー
警部/公証人:バスティアン・トーマス・コール
元帥夫人の執事:ハイヤン・グオ
ファーニナル家の執事/料理屋の主人/動物商:ヨルク・シュナイダー
帽子屋:ラウラ・ロリータ・ペレシヴァーナ
イタリア人歌手:ピエロ・プレッティ
合唱;ミラノ・スカラ座合唱団
合唱指揮:アルベルト・マラッツィ
児童合唱:スカラ座アッカデミア児童合唱団、指揮:マルコ・デ・ガスパリ
管弦楽:ミラノ・スカラ座管弦楽団
その他、データの詳細はミラノ、スカラ座のホームページをご参照ください。
Der Rosenkavalier – Teatro alla Scala
かとう・ひろこ
音楽物書き。バッハを中心とする古楽およびオペラ、絵画や歴史など幅広いテーマで執筆、講演活動を行う。欧米の劇場や作曲家ゆかりの地をめぐるツアーの企画同行も行い、バッハゆかりの地を巡る「バッハへの旅」は20年を超えるロングセラー。著書に「今夜はオペラ!」「ようこそオペラ」「バッハ」「黄金の翼=ジュゼッペ・ヴェルディ」「ヴェルディ」「オペラでわかるヨーロッパ史」「オペラで楽しむヨーロッパ史」など。最新刊は「16人16曲でわかるオペラの歴史」(平凡社新書)。
オフィシャルホームページ
https://www.casa-hiroko.com