團とプッチーニの相似性、笛田博昭の輝かしい声
生誕100周年の團伊玖磨と、没後100年のプッチーニ。縁遠いようで、意外と遠くないようだ。團の新・祝典行進曲も管弦楽組曲「シルクロード」も華麗なカンタービレに満ち、プッチーニにも通じるオペラティックな歌謡性を帯びている。園田隆一郎はオペラが得意な指揮者らしく、それを小気味よく引き出し、プッチーニへと自然につなげた。
上記の2曲にはさまれた「夕鶴」の〝与ひょう、あたしの大事な与ひょう〟は、木下美穂子が明瞭な声と日本語で歌い上げた。
團伊玖磨の曲は近年、演奏機会が多いとはいえない。だが、戦後、全盛だった前衛と一線を画し、民族性や地域性にこだわった團の音楽は、グローバリゼーションの限界が露呈しているいま再評価されていい。その魅力が鮮やかに引き出されたことに価値がある。
後半のプッチーニは、園田にとって自家薬籠中のもの。「ラ・ボエーム」の序奏だけでも濃厚な叙情美が表現されるが、それに止まらない。一音一音がきらめき、リズムの足どりは軽やかで、旋律が輝きを帯びる。「イタリアらしさ」とも言い換えられ、それを園田のように奏する音楽に自然にまぶすことができる指揮者は、日本にはほかに見当たらない。
笛田博昭は「ラ・ボエーム」の〝冷たい手を〟を少々歌い急ぐ感があった。声が伸びるかどうか探りながら歌ったのかもしれないが、結果的に問題はなく、ハイCもよく響いた。だからか、以後はどのアリアもたっぷりと歌った。このテノールの流麗なカンタービレには惚れ惚れする。言葉が旋律と一体化しているから、力強い声なのに耳に心地いい。
また、表現が確実に深化している。「トスカ」の〝星は光りぬ〟も、暗い絶望が以前よりはるかに滲む。また、「トゥーランドット」の〝誰も寝てはならぬ〟をこれだけ余裕をもって歌える歌手は少ない。
一方、木下美穂子は言葉が旋律と一体にならないもどかしさはあるが、「ラ・ボエーム」のミミ、トスカ、蝶々さん、「トゥーランドット」のリューと、どの役も無理なく造形できるのはさすが。声がみなぎるという点では笛田との相性もよかった。
(香原斗志)
公演データ
神奈川フィルハーモニー管弦楽団 フェスタサマーミューザKAWASAKI 2024
團伊玖磨&プッチーニ 100周年オペラ・ガラ
8月8日15:00(木)ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:園田隆一郎
ソプラノ:木下美穂子
テノール:笛田博昭
管弦楽:神奈川フィルハーモニー管弦楽団
プログラム
團 伊玖磨
:新・祝典行進曲(管弦楽版)
:歌劇「夕鶴」から〝与ひょう、あたしの大事な与ひょう〟
:管弦楽組曲「シルクロード」
Ⅰ. 綺想的前奏曲 Ⅱ. 牧歌 Ⅲ. 舞踏 Ⅳ. 行進
ジャコモ・プッチーニ
:歌劇「ラ・ボエーム」から〝冷たい手を〟〝私の名はミミ〟〝おお、優しい少女よ〟(二重唱)
:歌劇「トスカ」から〝歌に生き、愛に生き〟〝星は光りぬ〟
:歌劇「蝶々夫人」から 第2幕第2場への間奏曲(朝の場面)
:歌劇「蝶々夫人」から〝ある晴れた日に〟〝さらば愛しの家〟
:歌劇「トゥーランドット」から〝皇帝の入場の音楽〟
:歌劇「トゥーランドット」から〝氷に包まれたあなたも〟〝誰も寝てはならぬ〟
かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。