通り一遍ではないノットのチャイコフスキー、「悲愴」は初めての指揮
ミューザ川崎シンフォニーホールが20周年を迎えた。東京交響楽団(東響)は開館と同時に川崎市のフランチャイズ・オーケストラとなり、2年目に始まったフェスタサマーミューザでもオープニングとフィナーレのコンサートを毎年担ってきた。英国出身のジョナサン・ノットは2014年に東響第3代音楽監督に就任、ホールとの付き合いも10年に及ぶなか、「フェスタの意義はこれまで経験したことのない感動を創り出すこと」と考え、昨年からは「個人的には取り組むことの少なかったチャイコフスキーの交響曲に東響とともにチャレンジしています」とプログラムに記した。今年の「第2番」も一般に演奏される1880年改訂版ではなく「よりクレイジーだと感じた」という1872年初稿版を採用する一方、「悲愴」は何と「初めての指揮」だった。
ちょうど13時間前に始まったパリ五輪開会式はスポーツと平和の祭典だが、フェスタのオープニングもウクライナ民謡を多用した交響曲と「悲愴」を組み合わせ、「揺れ動く世界の縮図を映すような意図もありました」と、ノットは終演後に打ち明けた。
オーケストラは14型(第1ヴァイオリン14人)の対向配置。コントラバス8台は舞台下手(客席から見て左側)壁沿いの一段高い段の上に2列で並べた。第2番が始まってすぐ、ヴァイオリン群の透明で艶やかな音色に耳を奪われる。1週間前にサントリーホールで聴いたブルックナーの「交響曲第7番」にも同じ感触があり、ノットが10年をかけて築いた「東響サウンド」の深化を思った。東京藝術大学4年生だった2023年10月から「東響首席オーボエ奏者研究生」を務める荒木良太、フルート首席の竹山愛、ゲストの読売日本交響楽団ホルン首席の松坂隼ら管楽器のソロにも聴き応えがある。
チャイコフスキーが複数のウクライナ民謡を引用して民族色を強く打ち出しながら、西ヨーロッパ由来の交響曲や管弦楽法の構造に融合させる〝力技〟にチャレンジした痕跡は、改訂版よりも初稿版にはっきりと現れている。ノットの指揮は拍節感よりも作曲家の気概を追いかける行き方。かなりの無理難題もオーケストラに課したため、ところどころでアンサンブルに乱れが生じたが、破格のエネルギーを引き出すことに成功した。
平和と争いのせめぎ合い、一抹の淋しさを感じさせた「悲愴」
「悲愴」は日本でも演奏頻度が格段に高い分、ノットの解釈に対する賛否が分かれた。第1楽章はリズムを正確に追いつつ、極端な重さを避け、バレエ音楽風の洗練を優先して始まった。それだけに展開部の爆発が決まり、異様な胸騒ぎの中から、平和と争いのせめぎ合いのような揺れが現れた。第2楽章は予想通りの洗練されたワルツだが、エレガンスの背後に一抹の淋しさが漂う。第3楽章もこの気分を引きずって野蛮さのかけらも感じさせずに逡巡&葛藤の音楽として再現したが、未消化の部分も多々ある。最終楽章でも「くさい芝居」は徹底して排除された。前半はレガート(滑らかさ)を際立たせ、クライマックスで一転、長めのルフトパウゼが息も絶え絶えの状況を表し、ドラの音が明確に弔鐘の意味を持つ。最後は下手8台のコントラバスが絶妙の効果を発揮して消えた。
ロシア流「音の大河ドラマ」を期待した向きは肩透かしを食らっただろうし、フランス音楽に通じる洗練を味わうには完成度の問題があった。それでも通り一遍の再現に背を向け、チャイコフスキーの「優美さや詩情」を存分に引き出そうと格闘する「チャレンジ」に対し本拠地ミューザの聴衆は温かな拍手を送り、最後はノットの単独アンコールで盛り上がった。客席の年齢層が偏らず、広範に及ぶのもこのフェスタの素晴らしさだ。
(池田卓夫)
公演データ
フェスタサマーミューザ KAWASAKI2024 東京交響楽団オープニングコンサート
7月27日 15:00 ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ジョナサン・ノット(音楽監督)
管弦楽:東京交響楽団
ゲスト・コンサートマスター:景山昌太郎(独ハーゲン市立歌劇場第1コンサートマスター)
プログラム
チャイコフスキー
:交響曲第2番ハ短調Op.17〝ウクライナ(小ロシア)〟(1872年初稿版)
:交響曲第6番ロ短調 Op.74〝悲愴〟
いけだ・たくお
2018年10月、37年6カ月の新聞社勤務を終え「いけたく本舗」の登録商標でフリーランスの音楽ジャーナリストに。1986年の「音楽の友」誌を皮切りに寄稿、解説執筆&MCなどを手がけ、近年はプロデュース、コンクール審査も行っている。