深い情感、慈しむような味わい――さまざまな人生の節目を経て至った新境地
2021年10月に第18回ショパン国際ピアノコンクールで第4位に入賞し、その後は結婚、出産と、さまざまな人生の節目を短いうちに経験した小林愛実。演奏活動に復帰後、都内で久々の大きなリサイタルだったこの日は、スケールを増した彫りの深い音楽へ深化した奏風を示す場となった。
前半はシューベルト晩年の傑作、即興曲集 D.935の4曲を、あたかも一つのソナタのように扱い、主情的でロマンティックな解釈を繰り広げた。光と影が交錯する各曲の間に綿密な設計を施し、短調と長調、ダイナミクス、リズムなど、さまざまなコントラストを劇的に表出した。
ヘ短調の第1曲では、冒頭からパセティックな表情に緊張感があふれ、時折顔を出すほのかに明るい長調との対比が、効果的に図られた。頻出するルバートに心を込め、旋律の海をたゆたうように進んで行く。
白眉だったのは、静けさと陰りが支配する変イ長調の第2曲。思い入れたっぷりに濃厚な陰影をじっくりと描き、深い情感は小林の新境地に聞こえた。第3曲では有名な「ロザムンデ」の主題を輪かく明りょうに歌い込み、甘美な感触を強調する。速いテンポで快活にリズムを刻んだヘ短調の第4曲が、中間の2曲と鮮やかな対照をなした。トータルで40分ほど、重い手ごたえを残した。
前半の気分を受け継いだ後半は、モーツァルト、シューマン、ショパンと次第に明るさを増していく巧みな構成。悲痛なモーツァルト「幻想曲」K.397の末尾で、短調→長調への切り替えが入ると、温和な情緒を通わせるシューマン「子供の情景」へ。ここでも、曲の本質をよく感じて、慈しむような味わいを醸した第7曲「トロイメライ」や終曲「詩人は語る」の深みが秀逸だった。
そして最後のショパン「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」で、ここまでの空気を一気に解放し、手の内に入った堂々たる快演で喝采を浴びた。
(深瀬満)
公演データ
小林愛実 ピアノ・リサイタル
2024年7月10日(水) 19:00 東京芸術劇場 コンサートホール
シューベルト:即興曲集 D.935
モーツァルト:幻想曲 ニ短調 K.397
シューマン:子供の情景 Op.15
ショパン:アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調 Op.22
アンコール
ショパン:
ノクターン第20番「遺作」嬰ハ短調
幻想即興曲
ふかせ・みちる
音楽ジャーナリスト。早大卒。一般紙の音楽担当記者を経て、広く書き手として活動。音楽界やアーティストの動向を追いかける。専門誌やウェブ・メディア、CDのライナーノート等に寄稿。ディスク評やオーディオ評論も手がける。