言葉と音楽の繊細な表現でコラールカンタータの魅力を味わい尽くす
今年はバッハがコラールカンタータ年巻を作曲して300年目、それを記念してバッハ・コレギウム・ジャパンが打ち出した新シリーズの一回目が東京オペラシティで行なわれ、1724年6月の三位一体節後第1日曜日後に初演された4つのカンタータが演奏された。なお、病気で来日できなかったテリー・ウェイに代わって青木洋也がアルトのソロを歌った。開演15分前に鈴木雅明が登壇してバッハのコラールカンタータについて解説。その後大塚直哉がホールのオルガンでそれぞれ聖霊降臨節用のコラールと、第135番と同じコラールによる、二つのオルガン・コラールを演奏。曲が進むにつれてオルガンの重厚な響きがホールに浸透、教会カンタータにふさわしい空間へと変わっていく。
本編では各曲の前に原曲のコラールが歌われた。第20番は初演時の礼拝で朗読されたルカによる福音書の「金持ちとラザロ」を踏まえて、神意に背いて慈愛を示さなかった人たちの地獄の永劫の苦しみと、そこからの脱却への促しが扱われる。一曲目は管弦楽とともに合唱が同名のコラールの第1節を歌うが、定旋律はソプラノが担当(定旋律を担うパートの歌手たちが一歩前に出ているので視覚的にも分かりやすい)。そして「雷の言葉Donnerwort」や、永遠の苦しみに苛まれ続ける者の「悲しみのあまりどちらに向かうべきかも分からない」の「ないNicht」等が強調。また、「驚き」の心を連想させるオーボエの跳躍音型など、コラールの重要な言葉やそれに即した音楽的表現が印象深く示される。こうしたことは原曲のコラール演奏や他の3つのカンタータの随処に見出せる。
器楽にはコンサートマスターの若松夏美や高田あずみ、三宮正満ら、ベテラン・中堅メンバーが多く、合唱ともども技術的音楽的に非常に安定感があり、表現の純度が素晴らしく高い。たとえば、やはりルカの「大宴会のたとえ」をふまえた第2番の冒頭合唱曲はアルトが定旋律を歌うが、どの声部もヴィブラートを抑えた真っすぐな声なのでこの上なくテクスチャーが明快。
洗礼者ヨハネの祝日のためのカンタータ第7番の冒頭、コラール合唱のヴァイオリンの二重奏はきらきらとした水の流れのようだ。洗礼の意味を聞きなさいと説くバスのアリアは、きびきびとした速めのテンポで力強く歌われ、テノールのレチタティーヴォとアリアは気品とリリシズムにみちている。信仰と洗礼の恵みを信じよと歌う、温かくも透徹した眼差しを感じさせるアルトのアリアも出色だ。
最後の第135番は「マタイ受難曲」でもお馴染みの同じ旋律のコラールを用いた印象的なカンタータだが、冒頭のコラール合唱は、埋もれてしまいがちのバスの定旋律がくっきり。続くテノールのレチタティーヴォでは「私自身の十字架」や「苦しみ」が強調され、いつまでこの不安と恐怖が続くのかと自問しつつ歌い始めるアリアの、「死の国ではすべてが沈黙する」の後の印象深い休符などはまさに修辞学の黙説(もくせつ)を意識させる。悲しみに打ちひしがれた魂の独白であるアルトのレチタティーヴォを経て、救い主によって悪は蹴散らされ、魂に救いが与えられると歌うバスのアリアの情熱的で確信にみちた表現。そして、精妙なハーモニーによる最後のコラールで静かな余韻を残しつつ全曲を終えた。コラールを味わうためのバッハのコラールカンタータの魅力をとことん満喫した。次回以後が楽しみだ。
(那須田務)
公演データ
バッハ・コレギウム・ジャパン コラールカンタータ300年Ⅰ
第161回東京定期演奏会
2024年5月18日(土)15:00 東京オペラシティ コンサートホール タケミツメモリアル
指揮:鈴木雅明、アルト:青木洋也、テノール:櫻田亮、バリトン:ドミニク・ヴェルナー
合唱・管弦楽:バッハ・コレギウム・ジャパン
オルガン:大塚直哉
プログラム
J.S.バッハ:
来ませ、聖霊、主なる神 BWV.651
心より われ こがれ望むBWV.727
カンタータ第20番「おお、永遠、汝、雷の言葉よ」BWV.20
カンタータ第2番「ああ神よ、天よりご覧ください」BWV.2
カンタータ第7番「キリスト我らが主ヨルダン川に来たりたもう」BWV.7
カンタータ第135番「ああ主よ、この憐れな罪びとを」BWV.135
なすだ・つとむ
音楽評論家。ドイツ・ケルン大学修士(M.A.)。89年から執筆活動を始める。現在『音楽の友』の演奏会批評を担当。ジャンルは古楽を始めとしてクラシック全般。近著に「古楽夜話」(音楽之友社)、「教会暦で楽しむバッハの教会カンタータ」(春秋社)等。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン理事。