稀(まれ)にみる〝親愛の情〟を漂わせた「英雄の生涯」
九州で唯一のプロ・オーケストラ、福岡市に本拠を置く九州交響楽団が20年ぶりの東京公演を実現した。1953年の創立から数えて70周年のシーズンの最後を飾り、2013年から音楽監督を務めてきた小泉和裕の退任(4月以降は名誉音楽監督)記念公演も兼ねていた。
「九響とは20代の頃から共演してきました」と語る小泉が過去10シーズン、いかに楽団の演奏水準を高め、固有のアイデンティティーを植え付けてきたかの成果は後半の曲目、R・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」で如実に現れていた。
数日前に放映された1986年開場記念公演の小澤征爾(ヘルベルト・フォン・カラヤンの代役)指揮から昨年11月のキリル・ペトレンコ指揮まで、ベルリン・フィルの「英雄の生涯」が〝しみ込んだ〟サントリーホールで同じ曲を演奏すること自体、大きな挑戦だった。まず小泉は東京都交響楽団終身名誉指揮者でもあり、サントリーホールの「鳴らし方」を熟知している。音楽づくりの基本は「生涯を通じて東京藝術大学で師事した山田一雄先生、カラヤン先生の2人に授かったものに尽きる」といい、解釈の流行とは一定の距離を置き「ぶれずに、まっすぐ」をモットーに自分の信じる道を究めてきた。
第1部「英雄」はカラヤン譲りの颯爽(さっそう)としたテンポで始まり、ぐいぐいとオーケストラを引っ張るが、弦楽器群は余裕とともにメロウな音色を保ち、第2部「英雄の敵」でもピッコロに対し、独特のなまめかしさで応える。第3部「英雄の伴侶」ではコンサートマスターの扇谷泰朋がしなやかさ、切れ味を兼ね備えた美音で伴侶の性格を巧みに描写する。続く「英雄の戦場」にかけて小泉が一気にテンションを上げると管楽器群もパワーを全開し、一糸乱れない呼吸でクライマックスを築いた。
最後の「業績」「隠遁と完成」で弦が一層の厚みを帯び、美観を増していく様にも驚く。どの一瞬を切り取っても人肌の温(ぬく)もりと品格を失わず、血の通った「英雄の生涯」だった。それは東京のオーケストラからはもちろん、外来組からも滅多に聴けない感触であり、小泉が手塩にかけて育ててきた「九響サウンド」の方向性と価値を強く印象づけた。
終始一貫した姿勢――現代の聴衆に向けてダイナミックに訴えかけるベートーヴェン
前半のベートーヴェンをR・シュトラウスと全く同じ、16型(第1ヴァイオリン16人、第2ヴァイオリン14人、ヴィオラ12人、チェロ10人、コントラバス8人)の大きな編成で演奏したことに対しては、客席にも賛否両論があった。確かにシュトラウスとの時代差を感知しにくくなるデメリットはあるにせよ、交響曲の歴史におけるベートーヴェンの〝爆発〟が第3番「英雄」で唐突に始まったわけではなく「第2」の後半あたりから「導火線に火がついた」実態を立証する点で、有効なアプローチだろう。
カラヤンをはじめとするカペルマイスター(楽長)の多くは「オーケストラのパワーは弦で決まり、管はトッピングに当たる」との考えの持ち主だった。小泉と九響も第1楽章で分厚い弦の土台を印象づけ、随所で管の味わいあるソロを際立たせた。ピリオド(作曲当時の)奏法を意識した演奏の対極を装いながら、引き締まった響きや明快なフレージングには入念な様式検証の痕跡がある。現代の聴衆に向け、ダイナミックに訴えかけるベートーヴェンとして、小泉の姿勢は終始一貫していた。
(池田卓夫)
公演データ
九州交響楽団70周年記念演奏会東京公演
2024年3月20日15:00サントリーホール
指揮:小泉和裕
コンサートマスター:扇谷泰朋
管弦楽:九州交響楽団
プログラム
ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調 Op.36
R・シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」Op.40 TrV190
いけだ・たくお
2018年10月、37年6カ月の新聞社勤務を終え「いけたく本舗」の登録商標でフリーランスの音楽ジャーナリストに。1986年の「音楽の友」誌を皮切りに寄稿、解説執筆&MCなどを手がけ、近年はプロデュース、コンクール審査も行っている。