<第38回>ディミトリー・コルチャック(テノール)

ディミトリー・コルチャック=新国立劇場「ウェルテル」2016年公演より
ディミトリー・コルチャック=新国立劇場「ウェルテル」2016年公演より

歌唱に知的な美しさを宿す
ベルカント・オペラの申し子

今年4月、シチリア島の州都、パレルモのマッシモ劇場でベッリーニ「ノルマ」を鑑賞した。お目当てはタイトルロールのソプラノ、マリーナ・レベカだったが、拾い物がポッリオーネを歌ったコルチャックだった。(関連記事:イタリア現地の最新「オペラ」鑑賞記-中

 

ポッリオーネはドラマティック・テノールが歌うべき役だと理解され、過去にはマリオ・デル・モナコやフランコ・コレッリといった重量級のテノールも歌ってきた。だが、この役を初演で歌ったドメニコ・ドンゼッリは、たしかにバリトンがかった声の「バリテノーレ」だったが、ロッシーニ「オテロ」のオテロ役を初演で歌ったほか、同様のきわめて技巧的な役をレパートリーにしていた。ポッリオーネはベルカント・テノールのための役なのである。

 

その点、ロッシーニをはじめとするベルカント・オペラで経験を積み、最近、声が力強さを増したコルチャックは、理想的なポッリオーネだった。レガートが力強い前に美しい。また、指揮者のロベルト・パッセリーニはカットされがちなカバレッタの繰り返しなどもきちんと演奏し、繰り返す際には装飾的なバリエーションを付けさせていた。これが初演当時の演奏スタイルで、コルチャックはアジリタや高音を付加して輝かしいバリエーションを聴かせた。そういう技をデル・モナコやコレッリに求めることには無理がある。

インテリジェンスを感じる歌唱

ロシア出身のこのテノールをはじめて聴いたのは2007年、ペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバル(ROF)で上演された「泥棒かささぎ」のジャンネットで、その後、ROFでいくつかの役を聴いた。2013年に故アルベルト・ゼッダが指揮した演奏会形式の「湖上の美人」におけるジャコモ2世は、優美なフレージングと鮮やかなアジリタ、輝かしい高音を聴かせ、総じて品位ある歌唱スタイルで、強く印象に残っている。

 

その後、たびたび来日もした。日本ではじめてオペラの舞台に立ったのは2016年、新国立劇場のマスネ「ウェルテル」で、急な代役だったが、艶やかでみずみずしい声に少し翳(かげ)りを漂わせ、精緻なフレージングで悲劇へと向かう若者の心の移ろいを深く表した。加えれば、よい意味で知的なウェルテルだった。満たされない恋情が自死を選ぶほどに募るさまを、どう歌えば伝えられるか、考え抜いて表現しているのがわかる。コルチャックの歌には、いつも底流にインテリジェンスが感じられ、それが歌唱の洗練につながり、耳の心地よさにも直結する。

 

2018年1月には、パレルモのマッシモ劇場でロッシーニ「ギヨーム・テル(ウィリアム・テル)のアルノールを聴いたが、少し力強さを増した声で、連続するハイCも難なくこなし、圧巻だった。同じ年にはオッフェンバック「ホフマン物語」で新国立劇場に再登場し、エレガントかつ役者巧者な歌唱を披露した。

 

すでに述べたように、声は少し力強さを増したが、レパートリーはほとんど変えず、ベルカント・オペラもしくはリリックな役にかぎっている。それもまたインテリジェンスあってこその選択であり、だから歌唱が知的に映える。好循環である。

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香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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