<第53回> ジェシカ・プラット(ソプラノ)

今年8月のロッシーニ・オペラ・フェスティバル「ビアンカとファッリエーロ」に出演したジェシカ・プラット (C)Amati Bacciardi
今年8月のロッシーニ・オペラ・フェスティバル「ビアンカとファッリエーロ」に出演したジェシカ・プラット (C)Amati Bacciardi

ベルカントの至難の役に
最高の輝きをあたえる異次元の歌唱

ハッとさせられる声の輝きと広がり。しかも、当たりがどこまでもやわらかく、やわらかいまま強弱が自在に制御され、超高音まで輝きを拡大しながら飛翔する。いまベルカントの至難の役を、ジェシカ・プラットほど理想的に表現できるソプラノがほかにいるだろうか。同じオーストラリア生まれのジョーン・サザーランド(1926-2010)を思わせるところがあるが、言葉が明瞭なことやレガートの凛とした佇まい、鮮やかなアジリタなどでは、サザーランドはプラットの敵ではない。

ただ、私は十数年前からプラットの歌唱をたびたび聴いて、その都度、歌唱の水準に満足しながら、上に記したほどの圧倒的な印象は受けていなかった。ところが、今年8月、中部イタリアのペーザロにおけるロッシーニ・オペラ・フェスティバルでは、ため息が出るほどの高みに達していた。脇園彩と共演した「ビアンカとファッリエーロ」のビアンカ役も、最終日に1回だけ演奏会形式で上演された「ランスへの旅」のフォルヴィル伯爵夫人も、歌唱の優美さ、音色の輝き、敏捷(びんしょう)なアジリタ、自由な高音のいずれもが、想像を超える次元で表現された。

楽屋を訪ねた際、「あなたは以前からすばらしかったけれど、今回のビアンカの歌唱はさらに相当磨かれましたね」と声をかけると、返答は「そうなのよ」。その理由を聞く時間はなかったが、研鑽を積み、納得する結果が得られているということだろう。1979年生まれのプラット。40代半ばの円熟期に達し、歴史に残る大歌手の貫録をまとうようになった。

トランペットで鍛えた肺活量

以前、インタビューした内容をもとに経歴を紹介すると、幼少時からテノール歌手の父のレッスンを聴いて育ったが、父からは管楽器を学ぶように指示され、7歳から19歳までトランペットを吹いていたという。父には、歌手に必要な肺活量を鍛えさせるねらいがあったのだ。その後、歌の勉強をはじめて23歳で渡伊。ローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミーでレナータ・スコットに習い、その後、今日までレッラ・クベッリに師事している。

音楽院では学ばず、大学では心理学と人類学を専攻したそうだが、むしろ、そのことがプラットの表現の深さにつながったと思われる。とはいえ、最初は苦労が続き、ペーザロのロッシーニ・アカデミーも3回受験し、3回落とされたという。光が射してきたのは、ローマ歌劇場の音楽監督だったジャンルイジ・ジェルメッティに評価されたことだった。ローマ歌劇場で学ぶ機会をあたえられ、2004年にマリエッラ・デヴィーアやダニエラ・バルチェッローナが出演した「タンクレディ」を鑑賞し、ロッシーニが大好きになったという。

その「タンクレディ」は私も鑑賞したが、生きているかぎり記憶に残るほどの名演で、それがプラットの理想であったなら、彼女の歌唱が前述した水準に達したのも、自然なことに思える。

だが、プラットはロッシーニもすばらしいが、ドニゼッティ「ランメルモールのルチア」やベッリーニ「清教徒」など、レガートが主体の役を歌っても、叙情的な優美さと気品を両立させて比類ない。プラットは「ロッシーニを歌うには、あらゆるテクニックを駆使することを求められるので、自分の歌のフォームを維持するのに役立ちます。だから、毎年歌っていきたい」と話す。そのための技術を磨き、柔軟性を維持しながら、レガートもさらに輝かせたいということだろう。

高みに昇り詰めたいまこそ、来日して日本の聴衆に至芸を披露してほしいと切に願う。

Picture of 香原斗志
香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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