美しいフォームと激しい感情を
極限で両立させる歌唱は想像を絶する
ベッリーニやドニゼッティのオペラはおもしろくないと話す人がいる。とくに速筆だったドニゼッティは、機械的にオペラを作曲したと誤解している人がいる。だが、それはよい演奏に出会っていない人の言い草だろう。のちの作品にくらべ、とりわけソプラノの役は技巧的で歌唱至難だが、すぐれた歌手が歌うと、その音楽は美しいだけでなく、心の機微が運命への予感まで交えて織り込まれているのに気づかされる。
それは、たとえばソンドラ・ラドヴァノフスキーの歌唱である。METライブビューイングで聴かせたベッリーニ「ノルマ」での複雑な葛藤や煩悶(はんもん)も、ドニゼッティ「ロベルト・デヴェリュー」の女王エリザベッタ役での希望と絶望も、聴き手の心をどれだけ打ったことか。
よろこびや怒りを象徴する装飾歌唱が巧みなうえ、強くも弱くも変幻自在に制御されたその声は、言葉に応じた抑揚や色彩をとおして、希望を裏から突くような不安、よろこびが内包する悲しみまでにじませる。むろん、ベルカント・オペラに重要な流麗さや端正なフォームを崩さずにやってのける。
こうして聴き手を深く入り組んだ心模様に同化させながら、高難度の技巧をともなう聴かせどころでは、聴き手に感情移入を強いながら、カタルシス効果をも得させる。そんなことができる歌手は稀有(けう)である。
ニュアンス豊かなトゥーランドット
2023年3月、ナポリで鑑賞した演奏会形式のヴェルディ「マクベス」では、マクベス夫人を歌った。激しい跳躍や下降、力強いコロラトゥーラが求められる至難の役で、ベッリーニやドニゼッティより強い声が要求されるが、自然に歌いこなし、難しい役だと感じさせない。しかも、ときに激しく歌っても、一定の声質が維持され、少しも破綻がみられない。
楽譜に書かれたことがていねいに表現され、そこから少しもはみ出さないのに、マクベス夫人という稀代の悪女の激しく複雑な心の動きが、声色だけで描出される。こうした役を激しく表現する歌手は少なくない。しかし、美しく歌いながら、その声に収まりきらないほどの感情を、聴き手を圧するように届ける歌手はほかにいない。
それでも、プッチーニ「トゥーランドット」の表題役となると事情が違うと思ったが、そんなことはなかった。2023年12月12日、ナポリのサン・カルロ劇場で鑑賞したが、数あるソプラノの役でもドラマティックなことでは最右翼のこの役で、想像を超える表現を聴かせてくれた。
この役はこれまで、豊麗な声で圧するような歌唱を聴き重ねてきたが、ラドヴァノフスキーは違った。フォルティッシモとピアニッシモのあいだを自在に、しかも精緻に行き来しながら、無限のニュアンスをあたえた。聴き手は最初から、トゥーランドットの複雑な人間像に直面させられる。なにかにおびえ、虚勢を張りつつも繊細さを併せもった女性であることが、第一声から知らされる。
大管弦楽を突き抜ける巨大な声が要求される役に、これほど細やかで豊かなニュアンスを加えることができ、それを通じて微妙な性格表現が可能であるとは知らなかった。
そんな特別なトゥーランドットを、6月に開催される英国ロイヤル・オペラの日本公演で味わえる。衝撃の体験になるはずである。
公演情報
かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。