<第44回>フアン・フランシスコ・ガテル(テノール)

フアン・フランシスコ・ガテル (C)Gianni Ugolini
フアン・フランシスコ・ガテル (C)Gianni Ugolini

極上のモーツァルトと鮮やかなロッシーニを
歌い分けられる磨かれたベルカント・テノール

柔らかい声で余裕をもって歌われるレガート。その柔らかさを維持したまま、鮮やかに疾駆するアジリタ。その双方に秀でたベルカント・テノールがフアン・フランシスコ・ガテルである。2022年2月、新国立劇場でドニゼッティ「愛の妙薬」のネモリーノを歌うはずだったが、新型コロナウイルスのオミクロン株流行に備えて「鎖国」が敢行されたため来日できず、残念無念であった。

 

とりわけ弱音を、胸声と頭声の間を自在に行き来しながら制御し、そこから音をスムーズに漸増させるテクニックは比類がなく、2019年に新国立劇場で歌った「ドン・ジョヴァンニ」のドン・オッターヴィオは、モーツァルトの旋律が可能な限り豊かなニュアンスに包まれたように感じられた。

 

生粋のモーツァルト歌手かと思えば、ロッシーニも鮮やかである。2011年8月、ペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバル(ROF)で、演奏会形式で上演された「セビリャの理髪師」のアルマヴィーヴァ伯爵が、はじめて聴いたガテルだったと思う。まるでゴムのように声を漸増させては漸減させるので、レガートが表情豊かなのだが、アジリタも鮮やか。強いインパクトを与えられた。2019年、やはりROFでロッシーニの処女作「デメートリオとポリービオ」に出演するのを聴いた。

 

その際、インタビューして、彼の歌唱の特徴について氷解したことが多かった。

E・パラシオの薫陶を受けたエルネスト役

故郷のアルゼンチンで最初に習った声楽教師が、ガテルのために選んだのが「ドン・ジョヴァンニ」と「セビリャの理髪師」だったそうだ。ガテルは言う。

 

「家でいちばん聴いていたのは『ドン・ジョヴァンニ』でした。僕は自分のことをロッシーニ歌手よりはモーツァルト歌手だと思っていて、モーツァルトへの愛情が深いのですが、ロッシーニの歌唱法も習得すべく務め、オペラ・セリアも歌い始めています。アジリタは最初から歌えて、その訓練方法も知っていますが、自然にできたことが経年とともにできなくなることもあるので、しっかり習得し直さなければいけません」

 

アジリタを最初から歌えたモーツァルト歌い。しかも、アジリタを意識的に磨き続けていたのだ。テノールのラウル・ヒメネス、メゾソプラノのドローラ・ザジック。タイプの異なる2人の薫陶を受けたことも、レガートとアジリタがともにすぐれたガテルの特徴につながっているのだろう。

 

イタリアに渡った直後は、フィレンツェで合唱に参加しており、そのときROF総裁のエルネスト・パラシオに出会ったという。

 

「ドニゼッティ『ドン・パスクワーレ』のオーディションがあり、選考委員だったパラシオさんが、僕をエルネスト役に選んでくれたのです。その後、僕がこの難役を歌うために、彼は自宅でしっかりと、この役のための可能な限りのレッスンをしてくれました」

 

ROFから名だたる歌手を送り出し続けるパラシオは、あのフアン・ディエゴ・フローレスの師匠でもある。そしてガテルは2024年2月、5年ぶりに新国立劇場に戻って、さらに磨かれたテクニックのもと、エルネストを披露する。

公演情報

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香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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