<第41回>フランチェスカ・ドット(ソプラノ)

フランチェスカ・ドット
フランチェスカ・ドット

難役「ノルマ」の感情を十全に表現できる
やわらかく力強く鮮やかなベルカント

2023年3月、コロナ禍で行き来が困難になって以来、久しぶりにイタリアを訪れ、ボローニャ歌劇場でベッリーニ「ノルマ」を鑑賞した。その際、タイトルロールの知的な歌唱に感銘を受けたが、それが北イタリアのトレヴィーゾ出身のフランチェスカ・ドットだった。

 

民族統合の象徴たる巫女(みこ)でありながら、敵の男性を恋して母になっている裏切り者で、しかし裏切られもする——。ノルマとはそんな複雑な女性像を、舞台にほぼ出ずっぱりのまま、声楽的に高度な表現を駆使して伝えるという屈指の難役である。しかも、第1幕のカヴァティーナ「清らかな女神」で、歌い手の力量がおおむね聴き手に伝わってしまうという点でも、酷な役だといえる。

 

その点、ドットは「清らな女神」ですぐに聴衆の心をつかんだ。序奏でのメッサ・ディ・ヴォーチェ(声を徐々に強くし、続いて弱くする技法)をはじめとしてコントロールが行き届き、かなり強い音圧をかけても声がやわらかい。後半のカバレッタでは、力強さとアジリタ(小さな音符の連なりを敏しょうに歌うこと)、ポッリオーネに向けられた繊細な女心が、高度にバランスされていた。

 

「ノルマは男性を恋して子供までもうけながら、それを隠し、宗教的な偶像として、苦しみをかかえながら緊張感をもって平静を装います。そして、友人でもあるアダルジーザに罪を着せようとしますが、最後には自分が巫女でありながら子供までもうけていたという罪を自身で暴露し、死に自由を求めます」

 

とドット。この複雑な感情を、どの音域でも均質な声を縦横に駆使して描く力量が彼女にはある。

稀有なドランマティコ・ダジリタ

ドットといえば、2018年にローマ歌劇場日本公演で歌った「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」のヴィオレッタの名唱が記憶にあたらしい。しかし、ドットに尋ねるとこう答えた。

 

「ノルマ役は高いドの音はいくつもありますが、テッシトゥーラ(平均的な音域)が比較的低く、私にはヴィオレッタより歌いやすいです。私の声は発展中で、このところヴェルディなら『イル・トロヴァトーレ』や『エルナーニ』、あるいはプッチーニの役などにレパートリーを広げていて、ヴィオレッタはいずれ歌わなくなると思います」

 

ノルマ役を歌うのは、このときがはじめてだったそうだが、必ずしも高音が得意でないドットには、あきらかにヴィオレッタよりも適役だと感じられた。少し陰のある声を、やわらかく、時に力強く響かせ、洗練されたフレーズに無限のニュアンスを加えて複雑な感情を描く。そんなノルマ役は、これから彼女の十八番となるだろう。

 

ノルマ役のように劇的な表現とアジリタを両立させられるソプラノを「ドランマティコ・ダジリタ」と呼ぶ。こうした特徴はベッリーニやドニゼッティのほか、初期のヴェルディの役にも通じる。

 

これまで、この手の役を歌うソプラノは、劇的だがアジリタが不十分だったり、アジリタはできても叫ぶように歌ったり、音域によって声がはっきり変わったりで、バランスがとれた歌唱を味わえることが少なかった。一方、ドットはベルカントの基本に忠実な真正の「ドランマティコ・ダジリタ」である。

 

まずは2023年11月のボローニャ歌劇場の日本公演で、稀有(けう)なドランマティコ・ダジリタを存分に味わいたい。

 

ボローニャ歌劇場 来日公演 ベッリーニ「ノルマ」 公演ページ(外部サイト)

香原斗志
香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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