ミラノ・スカラ座で話題の2公演を鑑賞した。10月17日にドニゼッティ「連隊の娘」、11月23日にモーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」。前者はお馴染みの演出に歌手のビッグネームが出演、後者は前衛的な演出に演技も達者な歌手たちが躍動。対照的だが、それぞれに内容は濃かった。
さらに進化したフローレスのトニオ
30代の頃のフアン・ディエゴ・フローレスは「連隊の娘」のトニオが十八番で、9回のハイCを軽々響かせ、第2幕のロマンスにも楽譜にないハイDを加えた。だが、アクロバティックな表現以上に、このオペラに横溢する真摯な感情を歌に乗せるのにもすぐれていた。
2007年にウィーン国立歌劇場で、ナタリー・デセイと共演するのを鑑賞した際は、客席が熱狂してカーテンコールが30分くらい続いた。今回もそのときと同じロラン・ペリーの演出で、ファンタジーに富み、笑わせながら要所では真剣な心のぶつかり合いが描かれる。この作品は喜劇とはいえ、ドニゼッティは登場人物に感情移入し、音楽に真摯な感情を宿らせたから、人間ドラマとしての彫の深さも問われる。
ペリーの演出ではその点が押さえられており、指揮のエヴェリーノ・ピドが音楽にエッジを立て、緩急を鋭く表現した。それが人間の呼吸のようでもあり、感情が深掘りされつつ心地よい。そんな正攻法の演出と指揮は、50代になったフローレスが無理なく力を発揮できる場でもあった。
開幕前の「ひどい風邪をひいているが押して歌う」というアナウンスは流れたが、しっかりと歌えている。以前よりは声が重くなったが、それでも高音域の音をすべて無理なく歌える事実にこそ驚かされる。第1幕のアリアではハイCへの9回の跳躍も難なく決めた。もっと驚かされたのは第2幕だった。マリーへの感情を伝えるロマンスは、中音域を色彩豊かに表す必要がある。フローレスはハイDを付加したりしない代わりに、以前よりもたっぷりと色彩豊かに歌い上げ、さらなる進化および深化の跡を聴かせてくれた。
マリー役のジュリー・フックスも、ネイティブなのでフランス語が美しいうえ、制御が行き届き、コミカルに表現しても音が崩れない。フローレスとの息も合っていた。シュルピス役のピエトロ・スパニョーリも力強くエレガントなレガートが魅力で、そこに喜劇的色彩を自在に加えてドラマを彩った。
往年の名歌手が演じることが多いクラーケントルプ公爵夫人役が、還暦に近づいたバルバラ・フリットリだったのは少し衝撃だった。たしかに彼女はすでに、あの気品あふれるレガートを失ってしまった。とはいえ凛とした舞台姿と存在感は、ほかの人では得られまい。
極上のアンサンブルと現代演出の是非
2026年4~5月に東京で上演されるリッカルド・ムーティ指揮「ドン・ジョヴァンニ」で題名役を歌うルカ・ミケレッティから、「グリエルモ役にデビューするが来ないか」といわれたのがきっかけだった。ミケレッティは、ヴェルディの役を歌えば劇場を揺らさんばかりに美声を響かせるが、このバリトンが傑出しているのは、グリエルモを歌うとなれば、艶やかな声の魅力はそのままに音量を細かくコントロールし、柔軟に歌い回すことだ。
フェッランド役のジョヴァンニ・サラも上述の公演でドン・オッターヴィオを歌う。硬質な声をやわらかく響かせ気品あるレガートを紡いだ。ほかの歌手も総じてすぐれ、フィオルディリージ役のエルサ・ドライシヒは、若干の硬さが残るものの、端正に造形された破綻のない歌唱で、ドラベッラ役のニーナ・ヴァン・エッセンも滑らかな声によるレガートが洗練されている。以上の4人はアンサンブルも細やかだった。
デスピーナ役のサンドリーヌ・ピオーは還暦とは思えない闊達な歌唱で、ドン・アルフォンソ役のジェラルド・フィンリーは、これらのキャストを前提にすると、もう少し重い声でもいい気がしつつも、全体をしっかり引き締めてくれた。
これら6人を、英国出身の注目の指揮者アレクサンダー・ソディが、論理的かつ客観的な音楽づくりでまとめ上げた。だが、ロジカルな音楽構成のなかにも適度に感情が滲む。それはモーツァルトの古典的に抑えられた表現とも、ロバート・カーセンによる生々しい感情の表出が否定された演出とも、相性はよかった。
舞台は現代のテレビ番組に置き換えられ(イタリアに似た番組があるらしい)、背景に「La scuola degli amanti(恋人たちの学校)」と大書されている。アルフォンソとデスピーナは番組の司会者で、多くの男女がプールサイドやラウンジバーなど屋内外の空間で、愛を試し合うのである。
各歌手が演技巧者だったこともあり、読み替え演出としてはまとまりを見せ、一定の成功を収めていた。ただ、男女の機微が現代的に、ゲームのなかに収斂(しゅうれん)しすぎていたとも思う。モーツァルトはこのゲームを通して、感情の抑制が強いられた時代に自由な感情が発露する美しさを描いたのではなかったか。現代的なゲームに置き換えられると、モーツァルトが描きたかった美の革新が希薄になるもどかしさも感じられた。
かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。










