特別インタビュー デビュー50周年を迎えるヴァイオリニスト 大谷康子

忘れ得ぬ3つの想い出

——なるほど、素晴らしいコンセプトですね。ところで半世紀にわたる音楽家人生の中で特に印象に残っている出来事や思い出を3つ、ご紹介ください。

大谷 第1は先ほどからお話ししている通り、世界各国を回って音楽には国や民族、言語を超越した特別な力があることを何度も体験したことですね。

身振り手振りも交えて思い出を語る大谷康子
身振り手振りも交えて思い出を語る大谷康子

——第2の思い出は?

大谷 音楽の中身を伝えなければいけないなって強く感じたサントリーホールのホール・オペラとして上演されたヴェルディの「ナブッコ」です。東京交響楽団のコンサートマスター時代の体験ですが、指揮者もソリストも素晴らしく強烈な思い出として残っています。


——1998年4月に上演されたサントリーホールのホール・オペラですね。指揮はダニエル・オーレン、題名役にレナート・ブルソン、マリア・グレギーナ(アビガイッレ)、フェルチョ・フルラネット(ザッカ―リア)、エレーナ・ザレンバ(フェネーナ)らの豪華キャストでした。

頭で理解しただけでは音楽の核心に迫ることはできないことを教えてくれたダニエル・オーレンとの共演

大谷 頭で理解していても出せない音というものがあるのだ、ということを痛感させられた体験です。「ナブッコ」の中の有名な合唱曲「行け我が思いよ、黄金の翼に乗って」の場面で、コーラス(東京オペラシンガーズ)もオケもオーレンが要求する音がなかなか出せなかったのです。皆、頭では理解しているのでが、出せないのです。ユダヤの民が祖国を思慕する気持ちが表れない。オーレンは怒ったり、吠えたりともの凄くて、まるでライオンのような人に見えました。ところが、そんなオーレンが練習の途中で突然、指揮棒を置いて黙ってしまったのです。オケや合唱の皆がどうしちゃったの? と驚いているとオーレンは静かな声で「日本という国はずうっと昔からここに存在し、皆さんはずうっとここに住んできた。でも、自分たちユダヤ人には長い間、国がなかったのです…」と訥々(とつとつ)と話し始めました。それまで吠えていた人が急に静かな口調で語ると皆、シーンとなって「ああ、そうなんだ」と心の底から納得させられました。その後です、オケも合唱も音が一変してしまいました。今まで出たことがないようなサウンドが紡ぎ出され、弾いていて涙が流れました。


——私もこの公演の本番を聴きましたが、本当に素晴らしかった。

大谷 練習であんなに音が変わったのだから本番はどうなるのかと集中していましたが、「行け我が思い…」の箇所になったら、オーレンはこうやって(手を合わせて祈る仕草)全然振らないのです。祈っていたのですね。あの場面はテンポが大きく変化したりするわけではないので、指揮がなくても弾けるのですが、オーレンのあの姿を見た時、作品の持っている本当の意味が頭ではなく、心で深く理解できたように感じました。あれ以来、頭だけではなく心で理解できるまで掘り下げないと作品の本質に迫ることができないと、ほかの曲を弾く時でもいつも肝に銘じています。

1998年4月に上演されたサントリーホールのホール・オペラ「ナブッコ」の公演チラシ
1998年4月に上演されたサントリーホールのホール・オペラ「ナブッコ」の公演チラシと演奏を収めたライブCDのジャケット
1998年4月に上演されたサントリーホールのホール・オペラ「ナブッコ」の公演チラシと演奏を収めたライブCDのジャケット

——3つ目は?

大谷 ソロでもオケでもたくさんの曲を弾かせていただきましたが、コンサートマスターの時は常に責任感というか肩に重しが乗っているような感覚がありました。今日の演奏をベストなものになるようリードしていかなくてはいけないと。そうした中で、リヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」のソロは大好きで、今もお呼びがかかればどこへ行っても弾きたいくらいです。そのことは指揮者のパーヴォ・ヤルヴィさんもよくご存知で、彼が米国に行ったときに「日本に〝英雄の生涯〟のソロが上手い女性コンマスがいたよ」と話していたと現地にいる私の生徒が教えてくれました。後日、サントリーホールの側でパーヴォさんと偶然お会いした時、「オー、Ein Heldenleben(アイン ヘンデンレーベン=英雄の生涯)オオタニ!」と言ってくれてとても嬉しかったことを記憶しています。それほど好きな曲でもありました。

ソリスト、オーケストラのコンマス、室内楽、テレビ番組のMCと半世紀にわたって幅広く活躍してきた大谷康子
ソリスト、オーケストラのコンマス、室内楽、テレビ番組のMCと半世紀にわたって幅広く活躍してきた大谷康子

ニコラ・ルイゾッティも忘れ得ぬ素晴らしいマエストロです

——コンサートマスターを長く務められたことで、作品や指揮者、ソリストらと多くの出会いがあったわけですね。

大谷 東京シティフィルで13年(1981~1994)、東京交響楽団が21年(95~2016)と合計34年もやりました。その中でイタリアのニコラ・ルイゾッティさんも忘れられない指揮者のひとりです。彼と東京交響楽団がオペラ作品で共演しない年があり、私はどうしても彼の指揮で弾きたくて(2008年、サントリーホールのホール・オペラで)フィガロの結婚を上演した時に東京フィルさんにお願いしてエキストラとして後ろのブルトで出演させていただきました。


——えっ、東響の現役コンマスがゲスト・コンマスではなく東京フィルの後ろのプルトで弾いたのですか?

大谷 はい(笑い)、なるべく目立たないようにしていたのですが、リハーサルの時にルイゾッティさんにすぐに見つかってしまい、彼が私のところに近づいてくるものですから皆にばれてしまいましたけれどね。(笑い)そのくらい彼は素敵な指揮者です。


——最後に毎日クラシックナビの読者にメッセージをお願いします。

大谷 ヴァイオリンは本当に私の体の一部です。私の心の増幅器であり、弓はこの腕の延長です。これほどまでに大好きな楽器を、思いを込めて演奏すれば、聴衆の皆様にもきっと伝わるはずだと信じています。ヴァイオリンを通じて音楽の素晴らしさ、そしてこんなに人生って楽しいよ、ということをお伝えできるようにこれからも精進していきたいと思いますので、またぜひ、各地のコンサート会場で、お会いできたら嬉しいなと思います。どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。


——たくさんの素敵なお話、ありがとうございました。

公演データ

大谷康子デビュー50周年記念特別コンサート

2025年1月10日(金)18:30 サントリーホール

ヴァイオリン:大谷 康子
指揮:山田 和樹
バンドネオン:三浦 一馬
バス・クラリネット:梅津 和時
ンゴマ:大西 匠哉
ドゥタール:駒崎 万集
ピアノ:藤井 一興
弦楽四重奏:クヮトロ・ピアチェーリ
管弦楽:大谷康子50周年祝祭管弦楽団

ラヴェル:ツィガーヌ
ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第8番ハ短調Op.110
リヒャルト・シュトラウス:メタモルフォーゼン
クレンゲル(萩森 英明編):ヒムニス(ヴァイオリン合奏編曲版)
萩森 英明:ヴァイオリン協奏曲「未来への讃歌」~ヴァイオリンと世界民族楽器のための~

公演の詳細とプロフィール
デビュー50周年記念特別コンサート大谷康子 | クラシック音楽事務所ジャパン・アーツクラシック音楽事務所ジャパン・アーツ (japanarts.co.jp)

 

 

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