邦人ピアニスト、フォルテピアノ奏者による会心作が、相次いでリリースされた。それぞれ深い芸境を示す充実した名演に、ぐっと引き込まれる。
<BEST1>
「ザ・ラスト・モーツァルト」
仲道郁代(ピアノ)/井上道義(指揮)/アンサンブル・アミデオ
モーツァルト ピアノ協奏曲第20番、第23番

<BEST2>
伊藤 恵/ベートーヴェン:ピアノ作品集 3
伊藤恵(ピアノ)
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番、第1番、第8番「悲愴」、幻想曲op.77

<BEST3>
「ある午後、ファン・スヴィーテン男爵のサロンより~モーツァルト、J・S・バッハ、C・P・E・バッハ」
七條惠子(フォルテピアノ)
J・S・バッハ:シンフォニア第9番/モーツァルト:ピアノ・ソナタ第12番、幻想曲K475、ピアノ・ソナタ第14番ほか

2024年いっぱいで指揮活動から引退した名匠・井上道義が、その終了ぎりぎりに、なんとモーツァルトのピアノ協奏曲のセッション録音に臨んでいた。ソリストは、長年にわたって共演を重ねてきた仲道郁代。特別編成のオーケストラを伴い、これで最後という愛惜の念が濃厚にこもる唯一無二の名演が残された。
モーツァルトは仲道にとっても大切なレパートリー。しかも、奇しくもこれがピアノ協奏曲の初録音となった。第20番と23番の2曲は前年に他のオーケストラで、二人で演奏する機会があり、それが本作につながったという。全編に一瞬一瞬をいつくしむような静けさと物寂しさが漂い、ひそやかに時が過ぎる。井上も、地の現れた自然体で臨んでいる。短調の20番はそんな趣におあつらえの作品だが、こうした特異な感触は長調の後者でも変わらない。名匠とのお別れを強烈に意識した奏者全員の特別な思いがひとつに昇華された、世にもまれな記録になった。
じっくり腰を落ち着けて進む伊藤恵によるベートーヴェンのピアノ作品集は、これが第3弾。晩年の第31番と最初の第1番、「悲愴」の名で親しまれる第8番に、中期の味わい深い「幻想曲」作品77を加えた独創的な組み合わせだ。テンポやリズム、フレージング、アーティキュレーションなど、どこを取っても磨き抜かれた周到な解釈で、余分な力みが抜けた至高の境地を思わせる。
七條恵子はオランダを中心に活動する鍵盤奏者。フォルテピアノの名手で、19世紀の演奏スタイルや表現法を研究し、実践しているという。このモーツァルトのソナタを核にしたアルバムは典型例。テンポやリズムの激しい揺れ、大胆な装飾など自由奔放なアイデアの連続に、思わず目からうろこが落ちる。1802年製の希少なフォルテピアノが放つ鮮烈な音色も相まって、めっぽう面白い1枚に仕上がった。

ふかせ・みちる
音楽ジャーナリスト。早大卒。一般紙の音楽担当記者を経て、広く書き手として活動。音楽界やアーティストの動向を追いかける。専門誌やウェブ・メディア、CDのライナーノート等に寄稿。ディスク評やオーディオ評論も手がける。