2023年のバイロイト音楽祭が7月24日夜、前夜祭的位置付けのオープンエア(屋外)・祝祭コンサートから始まった。クラシックナビでは今年の同音楽祭のさまざまな情報や公演リポートを随時、お伝えしていく。その第1弾は「ニーベルングの指環」楽劇全4作(ラインの黄金、ワルキューレ、ジークフリート、神々の黄昏)をバイロイトで初めて指揮するピエタリ・インキネン(日本フィル首席指揮者)の書面インタビュー。音楽祭の開幕直前にメールで質問を送り、回答を寄せてもらった。(宮嶋 極)
インキネンはバイロイト音楽祭の中心的な演目である「ニーベルングの指環(リング)」の新プロダクション(ヴァレンティン・シュヴァルツ演出)を2020年から指揮する予定であった。ところが20年の音楽祭はコロナ禍で中止に。翌21年も完全な形で音楽祭を開催することができず「ワルキューレ」のみのセミ・ステージ的な公演が開催され、それを指揮。さらに昨年は体調不良のため直前に降板を余儀なくされ、今年ようやく4部作すべてを指揮することができた。インキネンにとってはまさに満を持しての登場となった。
なお、筆者の質問への回答は開幕直前の7月23日に送られてきた。
Q いよいよ開幕。今の心境は?
インキネン(以下、Ⅰ) 今年は体調も良く、この素晴らしい傑作に集中して取り組むことができています。バイロイト音楽祭で「リング」ツィクルスを指揮できることをとても光栄に感じています。
Q マエストロがバイロイトで「リング」全曲を指揮するのは初めてとなりますが、自信のほどをお聞かせください。
Ⅰ 私たちはすべての主要な役について、それを担う優秀な歌手のチームを擁しており、彼ら全員が自分の役割を十分に理解しその仕事をこなしています。その意味ではワーグナー、とりわけ〝リング〟を上演する上で、戦いの半分は既に終わっているといえるでしょう。さらに演出のヴァレンティン・シュヴァルツ(及びその演出チーム)と私たち(音楽家)は素晴らしいチームスピリットを発揮して準備に取り組みました。これはとても重要です。 最後になりましたが、バイロイト祝祭管弦楽団は本当に素晴らしい。 彼らはワーグナー作品の演奏経験がとても豊富で、この音楽を彼ら以上に上手に演奏することはほとんど不可能です。 最高の条件がそろっていると言えるので、きっと素晴らしい上演となるでしょう。
Q バイロイト祝祭劇場の特殊な音響についての感想をお聞かせください。
Ⅰ 私は21年に祝祭劇場で「ワルキューレ」を指揮していますので、この劇場の特殊性は十分に理解しています。祝祭劇場のオーケストラ・ピットは挑戦的といえるくらい特殊です。ステージの下に潜り込むような構造である上に、客席側には覆いがあってオケの演奏姿は聴衆・観客からはまったく見えなくなっています。このためホールの音響はオープンピットのある他の歌劇場とは大きく異なります。 ワーグナー作品でオケは100人を超える大編成を要することが多く、一緒に歌う歌手は(オケの大部分が覆われているので)歌いやすいのではないかと思います。しかし、指揮者にとっては客席における響きとその残響がどうなのかを把握することが大きな課題です。 指揮者がピットの中で聞いているのは、ホールに届く音とは違います。オケの音はいったんステージ上に到達して、歌手の声とミックスされて客席に反射するわけです。従って、ステージ上の歌手の声とピットの中のオケの音にはタイムラグが生じます。指揮者にとってはそれを最小限に抑えて聴衆に同時に聴こえるようコントロールすることが重要となってきます。ピットの中では客席での聴こえ方は分からないので、リハーサルの時に客席にいる人たちに聴こえ方をフィードバックしてもらい、誤差を調整するコツを習得する必要があるのです。
「神秘の奈落」と呼ばれるバイロイト祝祭劇場の特殊なオーケストラ・ピットから生み出される特別なサウンドはこの劇場でしか体験できない不思議なもので、バイロイト音楽祭の大きな魅力のひとつにもなっている。しかし、指揮者には大変な苦労とスキルが求められるようだ。
インキネンが指揮する「リング」4部作のツィクルス上演は7月26日に第1回目のツィクルスがスタートし31日の「神々の黄昏」で終了。その後も第2ツィクルス(8月5日~10日)、第3ツィクルス(8月21日~26日)と合計3サイクルが予定されている。
みやじま・きわみ
放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。