2008年の初共演以来、日本フィルハーモニー交響楽団との絆を築いてきた首席指揮者のピエタリ・インキネン。4月28、29日にサントリーホールで行われた任期最後の東京定期演奏会の様子を、音楽ライターの柴田克彦さんにレポートしていただきます(取材日=4月28日)。
フィンランドの上昇株ピエタリ・インキネンが、日本フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者として臨む最後の東京定期。2016年9月から当ポストを務める彼は、自国のシベリウスや得意のワーグナー作品など、同楽団で数多の好演を展開してきた。今回の演目は、その集大成とも受け取れるシベリウスの大作「クレルヴォ交響曲」。フィンランドから、ソプラノのヨハンナ・ルサネン、バリトンのヴィッレ・ルサネン、ヘルシンキ大学男声合唱団(50人)を招聘(しょうへい)するなど、相当力が入った公演だ。
「クレルヴォ交響曲」の生演奏は滅多になく、シベリウスに縁の深い日本フィルをもってしても、1986年に渡邉曉雄の指揮で演奏して以来37年ぶりとの由。だが、今回まず感じたのは、同楽団の〝シベリウスらしい〟質感だった。在京オーケストラにも、N響のドイツもの、都響のマーラー、読響のブルックナー、東京フィルのイタリア・オペラといった、メンバーが変わったとて不変の演奏伝統が存在する。日本フィルは言うまでもなくシベリウス。彼の地の自然を彷彿(ほうふつ)させる透明にして深みのある響き、弦楽群が絡み合い、重なり合う独特の重層感……この音は一朝一夕では出せないであろう。今回はそうした渡邉曉雄以来続くシベリウス演奏の流儀(伝統)が、今なお生きているのを実感させられた。この日の「クレルヴォ」は、まず、この強みを生かした日本フィルの渾身(こんしん)の演奏によって、クオリティーの高いものになったと言っていい。
そしてさらなる功労者は合唱団だ。ヘルシンキ大学の50人と東京音楽大学の50人が合体した100人の男声合唱は極めて強靭(きょうじん)で、ヘルシンキから大人数を呼んだかいは十分すぎるほどあった。歌詞がフィンランド語ゆえに、彼らの力は相当大きかったであろうし、その深く雄弁な歌声は本日の主役と言ってもいいほどのインパクトを与えた。
ソリスト2人は、かなりオペラティックな歌いぶり。バリトンは力強く説得力十分だが、ソプラノは少し大仰な感も……。ただこれは本作をオペラになぞらえたと思しき(時にワーグナーの影を感じさせた)インキネンの嗜好(しこう)なのかもしれない。
以下、各楽章について簡単に触れておこう。第1楽章「導入」は、冒頭から豊かな響きで、聴く者を神話的な世界へ誘う。第2楽章「クレルヴォの青春」は、オーケストラが前記のフィンランド的な質感で魅了。弦楽パートのやりとりも耳を奪う。第3楽章「クレルヴォとその妹」は、男声合唱と2人のソリストが加わる長大な部分。充実した響きで生き生きとした表現がなされ、弱音も効果をあげる。ここは、まさしく曲全体の中心たることが明示された快演だ。第4楽章「戦闘に赴くクレルヴォ」は、平明ながらも精彩に富んだ演奏。第5楽章「クレルヴォの死」は、荘厳な男声合唱が特に光り、彼らとオーケストラが一体となって高揚を遂げる締めくくりは、実に感動的だった。
インキネンの指揮は、緻密かつ雄大で、作品へのシンパシーにあふれていた。彼がこの曲を任期の最後に持ってきた理由も納得できるし、細やかにして生気に富んだ音楽は、立派のひと言に尽きる。これは、以前の「ワルキューレ」第1幕などでみせたインキネン&日本フィルの最上のパフォーマンスの一つであり、同楽団におけるインキネンの功績を見事に刻印する名演だった。(柴田 克彦)
公演データ
4月28日 (金) 19:00、29日 (土) 14:00 サントリーホール
ソプラノ:ヨハンナ・ルサネン
バリトン:ヴィッレ・ルサネン
男声合唱:ヘルシンキ大学男声合唱団、東京音楽大学
指揮:ピエタリ・インキネン
管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団
シベリウス:「クレルヴォ交響曲」
しばた・かつひこ
音楽マネジメント勤務を経て、フリーの音楽ライター、評論家、編集者となる。「ぶらあぼ」「ぴあクラシック」「音楽の友」「モーストリー・クラシック」等の雑誌、「毎日新聞クラシックナビ」等のWeb媒体、公演プログラム、CDブックレットへの寄稿、プログラムや冊子の編集、講演や講座など、クラシック音楽をフィールドに幅広く活動。アーティストへのインタビューも多数行っている。著書に「山本直純と小澤征爾」(朝日新書)。