陰鬱な世界観、多彩な表情であらわに ノット&東響「エレクトラ」

「エレクトラ」ミューザ川崎公演より、指揮者ノット(中央)と題名役のクリスティーン・ガーキー (C)N.Ikegami
「エレクトラ」ミューザ川崎公演より、指揮者ノット(中央)と題名役のクリスティーン・ガーキー (C)N.Ikegami

ジョナサン・ノット指揮、東京交響楽団によるリヒャルト・シュトラウスの歌劇「エレクトラ」(演奏会形式)について報告する。取材したのは5月12日、ミューザ川崎シンフォニーホールでの公演。(宮嶋 極)

 

大評判を呼んだ昨年11月の「サロメ」に続く東響の「リヒャルト・シュトラウス コンサートオペラ」第2弾として取り上げられたのが「エレクトラ」である。1幕約100分のオペラとしては短めな所要時間ではあるが、約120人の大編成オーケストラ、16役という大規模な構えの作品である。「エレクトラ」の首都圏での上演は2005年3月、東京・春・音楽祭の前身である「東京のオペラの森」での小澤征爾指揮、ロバート・カーセン演出によるプロダクション以来。筆者の経験では、その前はシャルル・デュトワのN響音楽監督としての任期最後の2003年6月定期で演奏会形式上演を聴いている。いずれも実力歌手をそろえ、指揮者の気迫がオケに乗り移ったような名演だった。今回のノットと東響もこれらに勝るとも劣らぬすごい演奏を聴かせてくれた。

 

上演機会が少ないのには訳がある。プロ、アマ問わずオケでの演奏経験がある方ならご存知だろうが、主要な作曲家の中でリヒャルト・シュトラウスの作品は技術面に限ってみれば抜きん出て難しいのである。公演前後にアップされた東響メンバーのSNSにもその超絶難易度に奮闘する記述が複数あった。にもかかわらず、である。実際の演奏は必死に譜面に食らいつく、というのではなくメンバーひとりひとりが能動的に弾き進め、それが全体としては統一感をもった巨大な建造物のような威容を示す音楽にまとまっていた。ノットの棒の下、歌手も含めた演者全員が同じ方向を向いて作り上げていく音楽空間は、舞台装置や演技上の大きな動きがなくても「エレクトラ」の陰鬱(いんうつ)な世界観を見事に表現していた。

 

約140人の演者を統御し、この難曲から多彩な表情を引き出すノットの姿にヘルベルト・フォン・カラヤンの言葉を思い出した。昔ドキュメンタリー映像で見たカール・ベーム80歳の誕生日祝いでのカラヤンのスピーチである。「東洋の弓の達人は、的に向かって矢を射るのではなく矢を放った瞬間、矢が自ら的に向かって飛んでいく。あなたの指揮はまさにそうしたものである」とベームをたたえる内容だった。ノットと東響の今の関係はこれに近いものであるように映った。

御年80歳、クリテムネストラを歌ったハンナ・シュヴァルツ(右) (C)N.Ikegami
御年80歳、クリテムネストラを歌ったハンナ・シュヴァルツ(右) (C)N.Ikegami

舞台はトーマス・アレンの演出監修によって、歌手たちはオケの前で動きや表情を交えて歌唱をしていく。歌手は全員、暗譜で役への作り込みが十分に行われていることが伝わってきた。

 

題名役のクリスティーン・ガーキーは圧倒的な声量を駆使し、濃厚な表現でこの役の不気味なまでの感情の高ぶりを描き出してみせた。彼女は05年の公演ではクリソテミスを演じていた。18年の間に表現の幅を広げ、この難作の主役を歌うまでになったのである。脱線するが、15年の小澤の公演のエレクトラはデボラ・ポラスキ。最近は彼女を見聞きすることは少なくなった。歌手の盛りは短い。ガーキーを花に例えるなら今まさに満開の時であろう。その一方で枯淡の味わいを示したのがクリテムネストラのハンナ・シュヴァルツである。今年80歳、声量こそ往時と比べるべくもないが、陰湿で暗い役柄を見事に表出してみせた。シネイド・キャンベル=ウォレス(クリソテミス)、ジェームス・アトキンソン(オレスト)ら他の歌手陣も十分に水準を満たす歌唱で公演の成功を支えた。

 

最終盤の第7場、クリテムネストラとエギストの殺害からエレクトラの踊りまでの間、アガメムノンの動機が連呼されるあたりからのノットの畳みかけるような音楽作りは息を飲むほどの緊張感に満ちたものとなり、聴いていて思わず「すごい」とつぶやいてしまったほど。終演後の拍手とブラボーは盛大でオケが退場してもその勢いは衰えることなく、ノットは主要キャストを伴って再登場し、歓呼に応えていた。

カーテンコールで聴衆の歓呼に応える出演者たち (C)N.Ikegami
カーテンコールで聴衆の歓呼に応える出演者たち (C)N.Ikegami

公演データ

【ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団 リヒャルト・シュトラウス コンサートオペラ第2弾】

リヒャルト・シュトラウス:歌劇「エレクトラ」(全1幕演奏会形式/ドイツ語上演、日本語字幕付き)

5月12日(金)19:00 ミューザ川崎シンフォニーホール、14日(日)14:00 サントリーホール

指揮:ジョナサン・ノット
演出監修:サー・トーマス・アレン
エレクトラ:クリスティーン・ガーキー
クリソテミス:シネイド・キャンベル=ウォレス
クリテムネストラ:ハンナ・シュヴァルツ
エギスト:フランク・ファン・アーケン
オレスト:ジェームス・アトキンソン
オレストの養育者:山下 浩司
若い召使:伊藤 達人
老いた召使:鹿野 由之
監視の女:増田 のり子
第1の侍女:金子 美香
第2の侍女:谷口 睦美
第3の侍女:池田 香織
第4の侍女/ クリテムネストラの裾持ちの女:髙橋絵理
第5の侍女/ クリテムネストラの側仕えの女:田崎尚美
合唱:二期会合唱団
管弦楽:東京交響楽団
コンサートマスター:小林 壱成

宮嶋 極
宮嶋 極

みやじま・きわみ

放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。

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