イタリア現地の最新「オペラ」鑑賞記(上)

サン・カルロ劇場(上演会場はポリテアマ劇場)の「マクベス」より、サルシ(マクベス)とラドヴァノフスキ(夫人) (C)L.Romano
サン・カルロ劇場(上演会場はポリテアマ劇場)の「マクベス」より、サルシ(マクベス)とラドヴァノフスキ(夫人) (C)L.Romano

想定外のコロナ禍でヨーロッパ行きがかなわなくなってかなり経過したが、ようやく3月と4月の2回、イタリアでオペラを鑑賞できた。オペラが西洋の芸術である以上、本場の上演に接していないと批評の軸が定まらない——。そんな姿勢を貫けなくなって3年以上が過ぎた耳に、本場の音は名演に恵まれたこともあって衝撃的でさえあった。3回にわたってレポートする。(香原斗志)

指揮も歌手も理想的だったナポリの「マクベス」

最初に訪れたのはナポリだった。3月18日、演目はヴェルディ「マクベス」。サン・カルロ劇場が修復中のため、日ごろ演劇などに使われているポリテアマ劇場を使い、演奏会形式で上演された。

 

前夜遅くローマに到着して疲れが抜けず、集中できるか不安だったが、序曲から覚醒させられた。マルコ・アルミリアートの指揮を生で聴くのは久しぶりかもしれない。METライブビューイングでは聴く機会が多いが、やはり実演でないとわからない。ディナーミクが絶妙で、陰鬱(いんうつ)な空気を表現しながら悲劇的な緊張がみなぎり、ドラマに引きこまれる。

 

魔女の合唱から速いテンポでアクセントが強調され、管弦楽がドラマとして見事に統率される。そして現れた歌手たち。バンクォーを歌ったモスクワ生まれのアレクサンドル・ヴィノグラードフ(バス)は、スラブ系ならではの深い声とヴェルディに求められる張り詰めたレガートが両立し、往年のニコライ・ギャウロフを思わせる格調高い歌唱だった。

最後のアリアを歌うマクベス夫人 (C)L.Romano
最後のアリアを歌うマクベス夫人 (C)L.Romano

マクベスはルカ・サルシ(バリトン)。カップッチッリやブルゾン、ヌッチの系譜に連ねて語られるこの歌手は、流麗なレガートやスタイルの品格において先達におよばないと思っていたが、この晩、私のサルシ観は変わった。中音から弱音のニュアンスが豊富で、とくに弱音が自在なので強い声が生きる。ヴェルディはニュアンスある朗唱を求めており、じつはサルシの表現こそ、その要求に沿っているのではないだろうか。

 

そして、マクベス夫人はMETの常連ソンドラ・ラドヴァノフスキ(ソプラノ)。力強い声を自然に響かせ、高音まで高い音圧のまま自然に駆け上がって無理がなく、アジリタも鮮やか。しかも美声の底に、ヴェルディがこの役に求めたしゃがれ声や暗い響きも備わる。ニュアンス豊かな表現に夫人ならではの毒も織り込まれ、期待どおりに理想のマクベス夫人だった。

 

アルミリアートの指揮は、たとえば第2幕フィナーレ、殺害したバンクォーの幻影におののくマクベスとなだめる夫人の動と静、急と緩の交錯が鮮やかで、聴き手を劇的状況に包みながら、全員によるアンサンブルによるカタルシスにつなげる。この鮮やかな音楽の運びは最後まで弛緩(しかん)しなかった。

ベネチアの「エルナーニ」は最高の声の競演

3月22日はベネチアのフェニーチェ劇場を訪れ、1844年3月にこの劇場で初演されたヴェルディ「エルナーニ」を鑑賞したが、歌手が特筆すべき充実ぶりだった。表題役を歌ったピエロ・プレッティ(テノール)は艶のある美声で歌唱にクセがなく、最初のアリアから美しくスタイリッシュに歌い上げた。表題役がたしかなテクニックで歌うと、演奏は引き締まる。

左からバルトリ(エルヴィーラ)、ペッティ(ドン・カルロ)、ペルトゥージ(シルヴァ)、手前がプレッティ(エルナーニ) (C)Silvestri
左からバルトリ(エルヴィーラ)、ペッティ(ドン・カルロ)、ペルトゥージ(シルヴァ)、手前がプレッティ(エルナーニ) (C)Silvestri

ドニゼッティのヒロインの流れをくむエルヴィーラは、劇的表現とアジリタの両立が求められる難役だが、アナスタシア・バルトリ(ソプラノ)の歌唱が見事だった。彼女は2021年に東京・春・音楽祭でムーティの指揮のもと「マクベス」に出演し、強さと技巧的な表現がバランスされたマクベス夫人を聴かせた。今回も技巧が鮮やかですべての音域がコントロールされ、この役の理想像を示した。

 

国王ドン・カルロを歌った1986年生まれのエルネスト・ペッティ(バリトン)も、高密度の声による流麗な歌い回しで、今後ヴェルディの諸役で期待できる逸材。そして、ミケーレ・ペルトゥージ(バス)によるシルヴァが、上演の質を基礎で支える格調高い歌唱で圧倒した。ドラマを中核で動かし表題役を死に導く役が、このように深精神性をたたえて、悪魔性も潜ませるように歌われると、オペラはこのうえなく深まる。

 

リッカルド・フリッツァの指揮は、このオペラがベルカントの延長にあることを物語るとともに、シンプルな初期ヴェルディのオーケストレーションの細部までが表情豊かに奏され、これほど雄弁に描かれていたのかと驚かされる。省略されがちなカバレッタの繰り返しなどもカットされず聴き応えがあった。

 

奇をてらわず、豊かな色彩と感情のていねいな掘り下げで見せるアンドレア・ベルナールの演出も相まって、作品の潜在力が最大限引き出された。

バルトリが歌うエルヴィーラ (C)Silvestri
バルトリが歌うエルヴィーラ (C)Silvestri
Picture of 香原斗志
香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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