東京・春・音楽祭が18日、開幕した。4月16日までの間、東京文化会館をはじめとする上野の文化施設などを舞台に60以上の公演が開催される。初日に東京文化会館大ホールで行われたリッカルド・ムーティによるヴェルディ「仮面舞踏会」の作品解説会について速報する。(宮嶋 極)
リッカルド・ムーティによるイタリア・オペラ・アカデミーは今回で3回目。今年はヴェルディの「仮面舞踏会」を題材にムーティが公演の準備を通して若手の指揮者、歌手、オーケストラを指導しイタリア・オペラの〝あるべき姿〟を若い世代に伝授していく。
アカデミーの開幕を飾る解説会はこれまではムーティがピアノを弾きながら若手歌手を指導する形で行われてきたが、今年は東京春祭オーケストラの公開リハーサルの形で進められ、オケを相手に実際に音楽を作りながら休憩を挟まず約2時間10分にわたって、熱心な指導が繰り広げられた。
その公開リハの内容は驚きの連続だった。最も目を見張ったのはムーティのわずかな指示でオケの演奏がガラリと変わっていくことであった。前奏曲から順を追って進められたが、冒頭の「リッカルド(グスターヴォ)への人民の敬愛のテーマ」では弦楽器セクション各パートの音量について少し指示を出し調整しただけでオケ全体が生き生きと歌い始める。ちなみに器楽の世界で「歌う」というのは実際に声を出すわけではなく、豊かな表情をつけて演奏することである。まさにオケが歌い出す瞬間を目撃しムーティの指揮者としての〝神通力〟のようなものに触れた思いをした。
オケの反応も素晴らしかった。東京春祭オケはこの音楽祭のために臨時編成されるのだが、イタリア・オペラ・アカデミーで演奏するメンバーはコンサートマスターの長原幸太(読響コンサートマスター)をはじめ内外の若い腕利きプレイヤーをよりすぐって編成されている。ちなみに第1ヴァイオリン・パートのうち7人が在京オケのコンマスか次席、ほかのメンバーもソリストとして既に活躍している若手や在京オケに所属しているヴァイオリニストばかり。ほかのパートも同じく首席奏者クラスが名前を連ねている。まさに若手のスーパー・オケである。ムーティの指揮に前のめりの姿勢で演奏を繰り広げ、解説会が終わる頃には日本のオケとは思えないほどのヴェルディにふさわしいサウンドを響かせていた。
一方、ムーティは練習を進めながら聴衆に向かってイタリア・オペラをめぐる現状について問題提起を行った。過去2回の解説会でも同様のことを述べていたが今回はより切迫感が強まっていたように感じた。その骨子は①ドイツを中心にヨーロッパで流行するオペラの読み替え演出が作品本来の魅力や作曲家の思いを台無しにしていること②イタリア・オペラでは歌手が譜面の指定を無視して必要以上に音を伸ばしたり、強い声で歌ったりしてショーや見世物と化している――の2点である。実名こそ挙げないまでも往年の大テノール歌手のことだと誰もが分かるような特徴の説明で厳しく批判してみせた。
「アルトゥーロ・トスカニーニがイタリアを離れて以降、イタリア・オペラの良き伝統がいくつも失われていった。モーツァルトやワーグナーのオペラの上演では考えられないこと(音の長さ、強弱、音程を変えて歌うこと)がなぜ、ヴェルディの作品では許されるのか。作品や作曲家へのリスペクトが著しく損なわれている」と嘆いた。
ムーティのこうした訴えはリハが進みオケの演奏が各段に変化していったことで一層の説得力を帯びて聴衆に届いたように思えた。ムーティは「私は(現在のオペラ界をめぐる動きに対して)長い間戦ってきたし、これからも戦っていきます。しかし、私の力不足なのか今も理想は回復できていません。(オケのメンバーに向かって)若い音楽家の皆さん、あなたがたの役割は重要です。そして聴衆の皆さまの役割もとても大切です」と語り、解説会を締めくくった。
アカデミー生の若い歌手と指揮者たちは客席の最前列に座ってムーティの話に耳を傾けていた。会の開始に先立ってムーティはアカデミー生ひとりひとりの名前を呼んで聴衆に紹介したが、指揮の生徒のひとりに「オーストリア出身のアンドレアス・オッテンザマーさん」と名前を呼ばれて客席に一礼した長身の音楽家はあのベルリン・フィルの首席クラリネット奏者のオッテンザマーだったことにも驚かされた。ちなみにアンドレアスの兄、ダニエルは現在ウィーン・フィルの首席クラリネット奏者であり、父のエルンストも長年ウィーン・フィルの首席を務めた名クラリネット奏者で2017年に現役のまま急逝している。そんな音楽エリート一家に生まれ、自身もベルリン・フィルの首席奏者という立場にあるアンドレアスでも受けたいムーティの指導。解説会のわずかな時間でもその貴重さが伝わってきた。
なお、ムーティがこれまで共演した世界的歌手とともに行う「仮面舞踏会」の公演は3月28日と30日に東京文化会館大ホールで。また、アカデミー生の若い音楽家たちによる公演は4月1日に同ホールで開催される。後者の公演ではオッテンザマーが指揮台に立つこともあるのかもしれない。楽しみである。
みやじま・きわみ
放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。