在京オーケストラによる第9公演聴き比べリポート(下)

昨年に続いて小林研一郎が率いた「ベートーヴェンは凄い 全交響曲連続演奏会」 (C)山本倫子
昨年に続いて小林研一郎が率いた「ベートーヴェンは凄い 全交響曲連続演奏会」 (C)山本倫子

在京オーケストラによる年末第9公演(ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調Op.125〝合唱付き〟)の聴き比べリポート、第3回は東京都交響楽団と東京交響楽団、大みそか恒例「ベートーヴェンは凄い 全交響曲連続演奏会」の岩城宏之メモリアル・オーケストラについて報告します。
(宮嶋 極)

*レポート(上)日本フィルハーモニー交響楽団とNHK交響楽団はこちら
*レポート(中)東京フィルハーモニー交響楽団と読売日本交響楽団はこちら

プログラム
ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調Op125「合唱付き」

【東京都交響楽団】
都響の指揮はフランスなどで活躍するサッシャ・ゲッツェル。全曲にわたって指揮者の意思が細部にまで浸透したことを窺わせるきめ細やかで統一感にあふれた演奏であった。弦楽器は16型のフル編成。ゲッツェルは第1楽章から直線的なフレージングで音楽の構造を構築するというよりは、弧を描くようなラインで旋律線を描いていく。彼がウィーン出身で、2022年4月に新国立劇場においてリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」を指揮して成功を収めた記憶が新しいことや、時折、左手で指揮台の背もたれを掴んで右手を回す指揮姿などで往年の名指揮者、カルロス・クライバーとの類似性を想起させるものがあった。(厳密にはクライバーとはかなり異なる音楽作りではあるのだが)

一貫して流麗な音楽を構築したサッシャ・ゲッツェル=写真は24日、東京芸術劇場 提供:東京都交響楽団 (C)堀田力丸
一貫して流麗な音楽を構築したサッシャ・ゲッツェル=写真は24日、東京芸術劇場 提供:東京都交響楽団 (C)堀田力丸

第2楽章は全パートにおいてリズムの形を徹底的に揃えていた。例えば186小節目から木管楽器とオクターブのF(ファ)にチューニングされたティンパニが交互に演奏する箇所では双方が対話するようなやり取りが繰り広げられた。

第3楽章は都響弦楽器セクションの厚いサウンドをフル活用した美しい演奏。やはり曲線的に旋律が流れていく。ホルンによるスケールのソロは首席奏者(西條貴人)が吹いた。ただしその直前の低音については下吹きの4番奏者が演奏するという珍しい分担が行われていた。

第4楽章も中庸なテンポ設定ながら流れるように音楽が進んでいくスタイルは一貫していた。コーダの916小節目マエストーソ(荘厳に)と指示がある箇所ではテンポを落として弦楽器全セクションにタップリと弓を使って弾かせることで文字通り荘厳で力強い音場を創り出した。920小節目プレスティシモ(きわめて急速に)と指示された箇所も勢いに任せて一気に駆け抜けるのではなく、一旦音量を少し落としてクレッシェンドしてフォルティシモにもっていった。そうした指揮者の細かい要求に細部にまで的確に応えた都響のポテンシャルの高さも改めて印象付ける秀演であった。

聴衆の喝采に応えるゲッツェル、森谷真理ほかソリスト陣=写真は24日、東京芸術劇場 提供:東京都交響楽団 (C)堀田力丸
聴衆の喝采に応えるゲッツェル、森谷真理ほかソリスト陣=写真は24日、東京芸術劇場 提供:東京都交響楽団 (C)堀田力丸

☆公演・演奏データ

指揮:サッシャ・ゲッツェル
使用譜面:ベーレンライター版
弦楽器:(第1から)16・14・12・10・8
管楽器:ホルン1番にアシスタント1人、ほかは譜面の指定通り
演奏時間:約67分(第2楽章388小節目からの繰り返しあり)
ソプラノ:森谷 真理
メゾ・ソプラノ:小林 由佳
テノール:チャールズ・キム
バリトン:加耒 徹
合唱:新国立劇場合唱団
合唱指揮:冨平 恭平
コンサートマスター:山本 友重
取材日:12月27日(土)サントリーホール

【東京交響楽団】
ジョナサン・ノットの第9は毎年、同じことを繰り返すのではなく少しずつ変化してきたが、25年は聴いていて驚きの変化、鮮やかな進化、そして納得の深化という言葉が次々と浮かんでくるような演奏であった。つまり前年24年までと比べると大きな変化を遂げていたのである。それは外形的にも明らか。まず弦楽器の編成。ノットはここ数年、ベートーヴェンの中・後期の交響曲を取り上げる時は(第1ヴァイオリンから)12・12・8・6・5を〝定番〟としてきたが、今回は8・8・6・5・4とグンと絞った。そして演奏時間。ベーレンライター版に記されたメトロノーム数値の指定にほぼ準拠し速めの設定で全般的にインテンポ、例年60~62分で演奏し終えていた。ところが25年は65分強と最遅であったのである。どこが違ったのか具体的にみていこう。

音楽監督として、ジョナサン・ノットの最後の第9公演となった (C) 平舘平/TSO
音楽監督として、ジョナサン・ノットの最後の第9公演となった (C) 平舘平/TSO

弦楽器の完全ノー・ヴィブラートは例年通りだが、長い音符はテヌートで演奏し第2主題など柔らかな曲想の箇所ではテンポを少し落としてレガート(滑らかに)で弾かせたのである。過去には嵐のような激烈さで演奏させたこともあったが、今回は緩急、強弱の差を鮮やかに表していた。ティンパニ(清水太)の音量も例年に比べて抑制的であった。

第2楽章も緩急・強弱の変化は明白に伝わってきた。A・B・Aの3部形式、Aの部分の後半、フォルティシモのトゥッティが静まり弦楽器が付点で柔らかに演奏するくだりでテンポをグンと落としてレガートで滑らかに演奏。また、388小節目からの繰り返しを行ったためティンパニによるオクターブFのソロが3セット出てくるが、1回目は譜面通りフォルテで、2回目はピアノで、そして3回目はフォルティシモで演奏させていたのも目を引いた。

第3楽章は例年に比べると遅めのテンポ、磨き抜かれたような美しい弱音で旋律を歌い上げていく。穏やかさが際立つ演奏であった。ホルンのソロは下吹きの4番(藤田麻理絵)が演奏。直前の低音域も含めて立派なソロであった。

第4楽章は例年の激しさ、シャープさは影を潜め、落ち着いた雰囲気で人類愛を歌い上げるようなアプローチ。音域に合わせるようにソプラノを第1ヴァイオリンの前、バリトンをチェロ・バスの前、テノールとメゾ・ソプラノをヴィオラの前に立たせていたのもノットの工夫であろう。コーダも熱狂のエンディングではなく前半は木管の内声部をしっかりと聴かせ速い中にもアンサンブルの妙味に光を当て、最後のプレスティシモで一気に駆け抜ける盛り上がりを作った。かつてノットをインタビューした時、ベートーヴェンの交響曲について「いつも枕元にスコアを置いていて気になるところがあると夜中でも見入ってしまう」との趣旨のことを語っていた。そうした彼の姿勢が常に作品の真価に肉薄しようとの変化や進化を生んでいるに違いない。

アンコールとして恒例の「蛍の光」が演奏された。ノットが音楽監督として東響主催の公演を指揮するのはこれが最後。ステージ上の演奏者、聴衆すべてが万感の思いを抱いた瞬間であった。ノットは東響に黄金時代をもたらしたことは多くの人が認めるところ。オケ退場後も〝別れ〟を惜しむように盛大な喝采が鳴り止まず、ノットは2回もステージに呼び戻されていた。

恒例の「蛍の光」で締め括られた公演 (C) 平舘平/TSO
恒例の「蛍の光」で締め括られた公演 (C) 平舘平/TSO

☆公演・演奏データ

指揮:ジョナサン・ノット
使用譜面:ベーンライター版
弦楽器:(第1ヴァイオリンから)8・8・6・5・4
管楽器:譜面の指定通り
演奏時間:約65分(第2楽章388小節目からの繰り返しあり)
ソプラノ:盛田 麻央
メゾ・ソプラノ:杉山 由紀
テノール:村上 公太
バス・バリトン:河野 鉄平
合唱:東響コーラス
合唱指揮:三澤 洋史
コンサートマスター:景山 昌太郎
※アンコール:蛍の光
取材日:12月29日(月)サントリーホール

【第23回ベートーヴェンは凄い 全交響曲連続演奏会 岩城宏之メモリアル・オーケストラ】
大みそか恒例となったベートーヴェンの交響曲ツィクルス、今回も指揮は小林研一郎が務めた。小林は2年連続、17回目の登場(2006年は第7番のみ)、85歳となった今、使用譜面やオケの編成などの演奏スタイルを超越した〝高み〟に歩みを進めつつあることを感じさせる演奏を聴かせてくれた。

第8番まで交代しながら演奏してきた各パートのプレイヤーが第9では全員乗ったため木管楽器はほぼ倍管の編成。弦は基本14型だが、コントラバスのみ8人と低音が増強された格好。岩城オケはコンサートマスターの篠崎史紀(前N響特別コンマス)を中心に編成されることもあり、同響メンバーが毎年多数参加するのだが25年はN響がNHK「紅白歌合戦」に出演したこともあり例年に比べて少なめ。とはいえ、第1ヴァイオリンだけみても篠崎をはじめ依田真宣(東京フィル)、田野倉雅秋(日本フィル)ら5人ものコンマスが名前を連ねる強力布陣。腕利き若手メンバーも多く弦楽器セクションの重厚なサウンドは目を見張るほどの凄みあるものだった。

全曲の演奏時間は71分で24年に比べて1分ほど遅くなったが、コバケンはじめ演奏者たちの気迫は例年にも増して漲(みなぎ)っている様子で緩みを感じることはなかった。

2年連続で指揮を務めた小林研一郎と、コンマスの篠崎史紀 (C)山本倫子
2年連続で指揮を務めた小林研一郎と、コンマスの篠崎史紀 (C)山本倫子

第1楽章は長い音符をタップリと弾かせ、ダイナミックレンジを広く取り、時折、ゲネラルパウゼ(総休止)のような間を取るなど20世紀の巨匠にも似たドラマティックなスタイル。間を空けた直後、オケ全体が呼吸を合わせる場面で篠崎が積極的な動作でリードし、名コンマスの貫禄を示した。第2楽章も劇的表現が続き演奏の熱は高まっていく。

ところが第3楽章に入るとドラマティックな様相は一変し、オラトリオなど宗教音楽のような雰囲気を醸し出してきた。コバケンの祈りにも似たベートーヴェンへの想いが音楽に投影されていたのだろうか。これは第4楽章に入っても続き、荘厳かつ演奏者の気迫がこもった熱演が展開された。コーダ中盤の4分3拍子、マエストーソの部分ではテンポを落として弦楽器が全弓で力強く管・打楽器の強奏を支えるさまは迫力満点。920小節目、プレスティシモから一気にテンポを上げて圧巻のフィナーレとなった。独唱陣はいずれも充実の歌唱を披露。合唱は約150人。25年の第9公演の合唱団は各オケ60~70人前後が多く、いずれもプロ合唱団だけに音量的には不足はないのだが、アマチュアとはいえ多人数による音の質感は代えがたいものがあった。この公演を毎年、取材しているが今回の第9はここ数年の中で最も心に響く演奏だったように筆者は感じた。終演後、コバケンは「来年も頑張りたい」と続投を宣言し大喝采を集めていた。

150人近い合唱と大編成のオーケストラが熱演 (C)山本倫子
150人近い合唱と大編成のオーケストラが熱演 (C)山本倫子

☆公演・演奏データ

指揮:小林研一郎
使用譜面:版
弦楽器:(第1ヴァイオリンから)14・12・10・8・8
管楽器:Fl・4(1人ピッコロ持ち替え)、Ob・4、Cl・4、Fg・4(1人コントラファゴット持ち替え)、Hr・5(1アシ)、Trp・4、Trb・3
演奏時間:約71分(第2楽章388小節目からの繰り返しなし)
ソプラノ:小川 栞奈
メゾ・ソプラノ:山下 牧子
テノール:笛田 博昭
バリトン:青山 貴
合唱:ベートーヴェン全交響曲連続演奏会特別合唱団 武蔵野合唱団
合唱指揮:秋吉 邦子 佐藤 洋人
管弦楽:岩城宏之メモリアル・オーケストラ
コンサートマスター:篠崎 史紀
お話:三枝 成彰
取材日:12月31日(水)東京文化会館

公演データ

Picture of 宮嶋 極
宮嶋 極

みやじま・きわみ

放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。

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