在京オーケストラによる2024年末の第9公演(ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調Op.125〝合唱付き〟)の聴き比べリポート。後編は(取材順に)東京都交響楽団、東京交響楽団、岩城宏之メモリアル・オーケストラの公演について報告します。(宮嶋 極)
【東京都交響楽団】
終身名誉指揮者のタイトルを持つ小泉和裕が指揮した東京都交響楽団の第9公演。今年の取材では初めて16型の弦楽器編成、ブライトコップフ旧版の譜面を用いての演奏となった。
何百回と聴いてきた第9交響曲だが、筆者にとって鮮烈な記憶として残っているのが1979年10月、東京・杉並の普門館で行われたヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィル(BPH)の来日公演での演奏だ。重厚な響き、メンバーひとりひとりがまるで室内楽のプレイヤーのようにアグレッシブに弾き、音と音のぶつかり合いで火花が散るような激しいアンサンブルが繰り広げられる様は、かつて、そして半世紀が経過した今に至っても聴いたことも見たこともない圧巻の体験であった。小泉と都響の第9を聴いていてふと、そんな昔のことを思い出した。
カラヤン&BPHのアグレッシブさ、強烈な推進力、緊張感には及ばないものの、作品の造形を堅固に構築して重厚な響きで音楽を力強く進めていくスタイルは確かにあの時の演奏に少し似ていた。演奏に要した時間も約66分とほぼ同じであった。(カラヤンの所要時間は79年の来日公演のライブCDから算出)
とはいえ、小泉がいくらカラヤン国際指揮者コンクール優勝者で影響を受けているといっても単なる模倣ではないだろう。20世紀後半のベートーヴェン演奏のある種の理想を継承・発展させていこうとの思いや、気迫のこもった精度の高い演奏を行えば、21世紀の今でも聴衆の心を動かすことができるとの確信があるのかもしれない。(機会があったら小泉本人に尋ねてみたい)現に終演後、オケ・メンバーが退場しても盛大な喝采は鳴り止まず、小泉がひとり舞台に再登場する〝ソロ・カーテンコール〟が行われた。
作曲家在世当時の楽器や演奏法を再現するピリオド(時代)の団体や、モダン・オケにおいてもそうした要素を取り入れて、ベーレンライター社などの批判校訂版の楽譜を採用しての演奏が世界的にも本流となって久しいが、前世紀の様式であってもキッチリとした組み立てが行われ、そこに演者の気迫が乗れば21世紀の聴衆の心を打つことが可能であることを示した演奏でもあった。芸術には何より多様性が大切である。ひとつのスタイルにすべてが収れんされていくのではなく、さまざまな方法が混在していることも面白いのかもしれないと考えさせてくれる小泉の第9であった。
☆公演・演奏データ
指揮:小泉 和裕
使用譜面:ブライトコップフ旧版
弦楽器:(第1ヴァイオリンから)16・13・11・10・8
管楽器:ホルン1番にアシスタント、ほかは譜面の指定通り
演奏時間:約66分(第2楽章388小節目からの繰り返しなし)
ソプラノ:迫田 美帆
メゾ・ソプラノ:山下 裕賀
テノール:工藤 和真
バリトン:池内 響
合唱指揮:冨平 恭平
合唱:新国立劇場合唱団
コンサートマスター:山本 友重
取材日:12月26日(木) サントリーホール
【東京交響楽団】
東京交響楽団の第9公演は音楽監督のジョナサン・ノットと桂冠指揮者の秋山和慶がそれぞれ指揮台に立つ〝2本立て〟がここのところの恒例となっているが、筆者は今年もノット指揮の公演を取材した。
毎年感心させられるのはノットの演奏は常に変化、進化を続けていることである。前年までの解釈を丸ごと再現するようなことは一切ない。以前、彼をインタビューした際、ベートーヴェン作品の奥深さについて熱弁を振るった上で「夜中にふと疑問が沸き、ベッドの上でスコアを開き検討していると眠れなくなることもある」「同じオーケストラと同じ作品を何度か演奏することはリヴィズィット(再訪)による新たな発見がある」との趣旨のことを語っていた。そうした旺盛な探究心が毎年、演奏が更新・彫琢されていくことに繋がっているのだろう。
弦楽器はヴァイオリンが対向配置で第1から12・12・8・6・5の編成、完全ノーヴィブラート、管楽器は譜面の指定通りの数でピリオド奏法に大幅に寄せたスタイルというのは例年と同じである。しかし、演奏に要した時間は約60分と23年末の62分、22年末の61分に比べても一層速くなっていた。これは24年末に取材した6公演中、最速である。疾走するようなテンポ感ではあるが、各パートの発する音の隅々にまでノットの意思が浸透していることが伝わってくるほどの精密な組み立てがなされていた。23年と異なりテンポをほとんど動かすことなく、ほぼインテンポの拍動の中で長めの音符はアタマにアタックをかけずにテヌート気味に演奏させていたことが今回、印象に残ったことのひとつである。また、読響のフランチェスコ・アンジェリコ、東京フィルのケンショウ・ワタナベと同じく第2楽章、ティンパニによるオクターブに調律されたF(ファ)のソロが5度演奏されるくだり(177~208小節)で、最初は強く、次は弱くというように毎回、音量に変化をつけていた。6公演中、3人の指揮者が変化の方法や度合は別にしても同様の処理を行っていたことは興味深い。新たな資料の発見や研究成果が発表されたのであろうか、後日、調べてみたい。
前述した細部に至る精密な工夫が凝らされた例としては第4楽章、バリトン独唱が「フロイデ!」と発し、男声合唱がこれに呼応し、続いてバリトンがいわゆる「歓喜の歌」の旋律を歌う箇所(237~256小節)では、弦楽器はピィツィカート(弦を指ではじく奏法)で演奏しているのだが、音量に微妙な強弱をつけて変化をもたらしていた。ここは普通なら、オケは歌に任せて伴奏に徹するところではあるが、旋律や歌詞のニュアンスに合わせて細部にまで表情付けを行っていたノットの徹底ぶりは驚くべきものであった。
細部にこだわっているのにもかかわらず演奏全体が小さくまとまることなく、終始ダイナミックな起伏に富みベートーヴェンの情熱や作品の奥深さが余すところなく表現されていたように感じた。例年と同じだったのはノットの熱意に応えてオケも歌も大熱演を繰り広げ、最後は圧巻のフィナーレを構築して、客席から大喝采を巻き起こしたことである。これに応えてステージの照明を落として「蛍の光」をアンコールしたのも例年通り。そのほかは全曲にわたって明らかな進化が見られた。今年12月にはノットが音楽監督として臨む最後の第9公演が予定されている。気が早いが今から楽しみである。
☆公演・演奏データ
指揮:ジョナサン・ノット
使用譜面:ベーレンライター版
弦楽器:(第1ヴァイオリンから)12・12・8・6・5
管楽器:譜面の指定通り
演奏時間:約60分(第2楽章388小節目からの繰り返しあり)
ソプラノ:安川 みく
メゾ・ソプラノ:杉山 由紀
テノール:宮里 直樹
バリトン:甲斐 栄次郎
合唱指揮:辻 博之
合唱:東響コーラス
コンサートマスター:グレブ・ニキティン
〇アンコール
蛍の光
取材日:12月28日(土) サントリーホール
【第22回ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会2024】
ベートーヴェンの交響曲全9曲を1日で演奏する大みそか恒例の「ベートーヴェンは凄い!全交響曲連続演奏会」も24年末で22回目を迎えた。指揮者は炎のマエストロ、小林研一郎である。小林は3年ぶり16回目の登場だが、うち1回(06年)は第7番だけの指揮だったため、第9に関しては15回目となる。演奏はN響第1コンサートマスター篠崎史紀とN響メンバーを中心に主要オケの首席クラスやソリストらによって毎年臨時編成される岩城宏之メモリアル・オーケストラ。(最初の3年間の指揮を務め、このコンサートを定着させた岩城宏之にちなんでこの名称が付けられている)
採用譜面は都響の小泉と同じくブライトコップフ旧版。弦楽器は14型でコントラバスが1人多い7人、そして管楽器は8番まで交代で乗っていたプレイヤーがほぼ全員出演するため倍管(詳細は公演・演奏データ参照)という編成。演奏時間は第2楽章の繰り返しはなかったが約71分と今回取材した6公演中、最も遅いテンポ設定であった。
小林は現在、84歳、以前は第7番でも大きな盛り上がりを作って8番を経て9番でさらに大きなクライマックスを築くというスタイルであった。ところが今回は年齢の影響なのか以前に比べて7番の燃焼度が少し低いように感じたのは筆者だけであろうか。さらに8番に至っては指揮者、そしてオケを率いる篠崎にも明らかに疲労の色が見て取れた。
セット替えも含めて45分の休憩の後、22時12分にスタートした第9では、再び気力漲らせ、炎のマエストロの面目躍如たる熱演を繰り広げた。
第1楽章は所要時間17分(ノットは14分弱)という遅いテンポながら、N響メンバーを中心とした弦楽器セクションの重厚な響きを駆使して骨太に音楽を進めていく。小林の指示なのか篠崎をはじめとするメンバーが自発的に行っているのか、長音にヴィブラートをかけない箇所が3年前よりもかなり増えた印象。分厚いハーモニーの中に時折、ノーヴィブラートのシャープなサウンドが鳴り響くのは効果的であった。第2楽章、第3楽章と旋律をタップリと歌わせながら悠々たる流れを作っていく。最終楽章は煽り立てるようなことはしていないにもかかわらず、音楽が次第に熱を帯びてくるあたりが炎のマエストロと呼ばれる所以であろう。コーダはマエストーソまではやや遅めのテンポで壮大にオケと合唱を鳴らし、オケだけとなるプレスティシモに入ると一気に加速して爆発的なフィナーレとなった。さすが炎のマエストロ、大変な盛り上がりであった。これがこの指揮者がもつ不思議な力であろう。客席では多くの聴衆がスタンディングオベーションで熱演を讃えた。
☆公演・演奏データ
指揮:小林 研一郎
管弦楽:岩城宏之メモリアル・オーケストラ
使用譜面:ブライトコップフ旧版
弦楽器:(第1ヴァイオリンから)14・12・10・8・7
管楽器:木管は倍管(フルート1人はピッコロ持ち替え、ファゴット1人はコントラファゴット持ち替え)、ホルンは1番にアシスタント、トランペットは倍管、トロンボーンは譜面の指定通り3人
演奏時間:約71分(第2楽章388小節目からの繰り返しなし)
ソプラノ:小川 栞奈
メゾ・ソプラノ:山下 牧子
テノール:笛田 博昭
バリトン:青山 貴
合唱:ベートーヴェン全交響曲連続演奏会特別合唱団、武蔵野合唱団
コンサートマスター:篠崎 史紀
〇ベートーヴェン:交響曲第1番~第9番
取材日:12月31日(火) 東京文化会館大ホール
みやじま・きわみ
放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。