ペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティヴァル(ROF)では、オペラのほかにほぼ毎日、コンサートや若者公演が開催される。レポートの最終回は、日本の若手が躍動した若者公演「ランスへの旅」と、印象に残ったコンサートについて。(香原斗志)
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期待の日本女性が2人出演した若者公演
ROFでは毎年、ロッシーニ・アカデミーの修了公演として「ランスへの旅」が、キャストを換えて2回上演される。今年はそこに2人の日本人が出演した。米田七海(ソプラノ)と石田滉(メゾソプラノ)。
難関で知られるこのアカデミー出身で、世界で活躍している歌手は多い。身近な例を挙げれば、新国立劇場のシーズン開幕公演「夢遊病の女」ですばらしい歌唱を披露したクラウディア・ムスキオもアントニーノ・シラグーザも修了生である。次の公演「ウィリアム(ギヨーム)・テル」に出演するオルガ・ペレチャツコもそうだ。そこに2人が大役を歌えたことの意義は大きい。
8月16日は米田が、コロラトゥーラと超高音が要求されるフォルヴィル伯爵夫人を歌った。高い音楽性が感じられ、客席に声がしっかり届く。課題もある。中音域は美しく、超高音に達しても響きが純粋だが、そこに届く前の高音やフォルテは、押してしまって声が濁る。細部までコントロールを行き届かせるためには、アッポッジャ(支え)も強化する必要がある。だが、改善が可能な課題であり、この舞台で存在感を示せたことの価値こそが大きい。
19日は、米田がモデスティーナという小さな役にまわり、16日に小役のデリアを歌っていた石田がコルテーゼ夫人を歌った。以前の彼女とくらべても、声自体の品位が増し、音域による声の変化もなく、技巧的にも安定している。このまま磨いていけばきっと、と思わせるものがあった。
彼女たちの詳細については、これ以上ここに記す紙数がないが、先日、インターネットラジオOTTAVA の動画(Accademia)で、さまざまに語ってもらった。アーカイブを視聴できるので、そちらを参考にしてほしい。
OTTAVA Accademia-香原斗志「オペラ、いま、これ!」 – OTTAVA Plus (ottava-plus.myshopify.com)
コンサートに居並んだ至芸を披露できる歌手たち
その他の演奏会では、8月13日に到着してすぐに聴いたピエトロ・スパニョーリ(バリトン)から傑出していた。パイジエッロやベッリーニの歌曲は譜面を見ながら歌うのに、声が自然な言葉とともに届いて心に染みる。「ラ・チェネレントラ」のドン・マニフィコや「イタリアのトルコ人」のドン・ジェローニオなど、オペラ・ブッファの持ち役になると、役柄が身体の深奥から迫りくるようだ。至芸とはこのことで、「人間国宝級」という言葉が頭に浮かぶ。
翌14日のラモン・バルガス(テノール)も強く印象に残った。ロッシーニやヴェルディの歌曲からはじまり、いずれも角がとれた声が自然につながれたレガートが美しい。万全のテクニックを土台に声をケアしてきたから、64歳になっても柔らかく情感豊かに歌えるのだろう。客席に向けて「歌とは人間性の発露だ」と語ったが、その意味でラテンの歌も一級品だった。
18日に歌ったこのテノールは、さらに年上の70歳である。グレゴリー・クンデ。かつてはROFの常連だったが、「52歳のときに声が変わり、レパートリーを変えた」とのこと。それでも、ロッシーニのバリテノール(バリトンのような響きのテノール)の役は歌っていたが、いまはもっぱらドラマティック・テノールである。だが、「ギヨーム・テル」のアルノールも、「誰も寝てはならぬ」も、瑞々しく輝かしい声でさらりと歌いきる。最近、力を入れているオールディーズ・ポップスも歌ったが、それをふくめ、どんな曲でも客席を沸かせる力は大テノールならでは。2月1日にサントリーホールで開催されるコンサートへの期待も、おのずと膨らむ。
17日のサラ・ブランク(ソプラノ)は、現在、私がイチオシのソプラノの一人。冒頭のロッシーニ「スペインのカンツォネッタ」や「黙って嘆こう(ボレロ)」から、息に自然に乗せた発声と、声のラインの美しさ、自在のフレージングが際立った。ベッリーニ「優雅な月よ」はほぼソットヴォーチェだけで歌ったのに、情感は濃密に載る。いくつかのロッシーニのアリアでは敏捷(びんしょう)で滑らかなアジリタが美しく、いつまでも聴いていたくなった。
21日のダニエラ・バルチェッローナ(メゾソプラノ)も貫禄の歌唱だった。1999年に「タンクレディ」の題名役でセンセーショナルな成功を収めた同じロッシーニ劇場で、同じ役のアリア「おお、祖国よ!~こんなに胸騒ぎが」を、いまもこれほど鮮やかに歌うのに心を打たれた。
公演データ
かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。