セイジ・オザワ 松本フェスティバル2024 オーケストラ・コンサート リポート後編

ネルソンスの代役でブラームス・ツィクルス前半を見事にまとめあげた沖澤 (C)大窪道治/2024OMF
ネルソンスの代役でブラームス・ツィクルス前半を見事にまとめあげた沖澤 (C)大窪道治/2024OMF

セイジ・オザワ 松本フェスティバル(OMF)のリポート後編。ブラームスの交響曲ツィクルスを指揮する予定だったアンドリス・ネルソンスが直前に降板し、沖澤のどか(OMF首席客演指揮者)が急きょ代役を務めたサイトウ・キネン・オーケストラによるコンサートのプログラムBについて報告する。取材したのは16日、キッセイ文化ホール(長野県松本文化会館)で行われた初日のコンサートで、曲目はブラームスの交響曲第1番と第2番。(宮嶋 極)


【オーケストラ・コンサート Bプログラム】

ネルソンスの降板が発表されたのが14日。小澤亡き後、最初の開催となる今年のOMFにおいて彼のブラームス・ツィクルスは大きな〝呼びもの〟であっただけに運営サイドはもちろん、SKOメンバーが受けたショックも大きかったことは想像に難くない。SNS上にはネガティブな投稿もみられた。それだけにSKOメンバーは大きな危機感を抱いて公演を迎えたようで豊嶋泰嗣コンマスを先頭にステージに登場した彼らからは普段とは異なる緊迫感が漂っていたように映った。
第1番第1楽章、ピーンと張った空気感を切り裂くようにコントラバスが全体よりもコンマ数秒早く、唸りをあげるような重厚な音でC(ド)の連奏(八分音符)を始める。ヘルベルト・フォン・カラヤン時代までのベルリン・フィルのようなスタイルである。ソナタ形式の提示部に入ると各パート、プレイヤーひとりひとりが室内楽のように積極的に演奏を繰り広げ、舞台上でたくさんの音がひしめき合ってひとつの大きな渦を作っているように聴こえる。こうしたブラームスの1番、かつて聴いたことがあるなと記憶をたどってみると1986年10月、サントリーホールのオープン記念公演における小澤征爾指揮ベルリン・フィルの演奏を思い出した。この時も指揮する予定だったカラヤンが体調不良で来日できず、急きょ小澤が緊急帰国して指揮台に立った演奏会だった。恩師の穴を埋めようとの小澤の熱意とそれに応えるベルリン・フィルの熱演が今回と酷似していた。予期せぬ形で大役を担うことになった沖澤の気迫にSKOも渾身の熱演で応えたのである。

沖澤のブラームスはリズムを骨太に処理して音楽の構造を堅固に構築した上で、前述のように活発なアンサンブルを繰り広げていくという、ドイツ音楽における伝統に根差したアプローチ。彼女がベルリンのハンス・アイスラー音大で学んだ後、ベルリン・フィルのカラヤン・アカデミーで研さんを積み、その間、キリル・ペトレンコのアシスタントを務めてきたことの成果をいかんなく発揮した誰もが納得し得るブラームスであった。
第2楽章はやや速めのテンポながら、弱音時の楽節移行の際などで音楽の流れが途切れないよう細心の注意を払っていた。また、豊嶋コンマスによるソロを聴いているうちに92年、小澤指揮SKOがこの曲を演奏した時の故・潮田益子の美しいソロが脳裏に蘇ってきた。終演後、SNSでSKOメンバーのひとりが同様の感想を投稿しているのを発見し驚いた。スピリチュアルなことを述べるつもりはないが、この日のステージには小澤や潮田ら今は亡きSKOの先人たちの魂が応援に駆けつけていたのかもしれないと感じた。第4楽章はフルートのアダム・ウォーカー(元ロンドン響首席)、ホルンのラデク・バボラーク(元ベルリン・フィル首席)、トランペットのガボール・タルケヴィ(同)ら世界的名手を揃えた管楽器メンバーの名人芸も含めて息つく暇も与えない展開の連続。沖澤はコーダに入る直前から加速して、輝かしく力強いフィナーレを作り出し、驚異的成功といっても過言ではない演奏を締めくくった。この1曲だけでも十分満足できるほどの内容であり、客席は割れんばかりの大喝采とブラボーに包まれた。

第1番で美しいソロを響かせた豊嶋泰嗣コンサートマスター。隣は第2番でコンマスを務めた矢部達哉 (C)大窪道治/2024OMF
第1番で美しいソロを響かせた豊嶋泰嗣コンサートマスター。隣は第2番でコンマスを務めた矢部達哉 (C)大窪道治/2024OMF

休憩が明けると沖澤は矢部達哉コンマスとともに最初にステージに登場。これは小澤が元気な頃の定番のスタイルである。第1番の大成功を受けて幾分安堵したのであろうか、ホッとした雰囲気が第2番の曲想にうまく合っていた。第1楽章はニ長調の特性を前面に打ち出した明るく力強い響きをベースに旋律がしなやかに紡がれていく。第2楽章では緩徐楽章にありがちな主旋律を朗々と歌い上げていくのではなく、内声部にも光を当てて作品の構造的な面白さを明快に提示していた点は沖澤ならではの解釈といえよう。第4楽章では八分音符の拍感覚を常に意識しているような音楽の進行で、ここでもドイツ的なカッチリとしたアプローチ。コーダではこの八分音符が猛烈な勢いをもって加速していき、白熱のフィナーレを創出してみせた。矢部コンマスのリードの下、弦楽器の弓が激しく動いて八分音符の刻みを怒涛のように加速させていくさまは視覚的にも圧倒された。終演後の聴衆の熱狂ぶりも凄まじく、最後は客席が総立ちとなって盛大な拍手とブラボーがホール全体に渦巻いた。オケが退場してもその勢いは衰えることはなく、沖澤は小澤が元気だった時と同様にオケ全メンバーとともにステージに再登場し歓呼に応えていた。(2度)

終演後、鳴りやまない喝采に応える沖澤とオーケストラのメンバーら (C)山田毅/2024OMF
終演後、鳴りやまない喝采に応える沖澤とオーケストラのメンバーら (C)山田毅/2024OMF

経緯はどうであれ、若い沖澤が世界中の腕利きメンバーで編成されたSKOからこうした熱演、名演を引き出したことは彼女にとっても大きな成功であり、さらなる飛躍への階段を何段か一気に駆け上がったような成果だったといえるだろう。予定通りネルソンスが指揮していたら素晴らしい演奏を聴けただろうが、当夜のように客席を総立ちにさせるほどの熱演は恐らく実現してはいなかったであろう。
なお、ザルツブルク音楽祭を訪れた知人からの情報によると10、11日に行われたウィーン・フィルの演奏会を指揮したネルソンスは激やせしていて明らかに体調が悪そうであったという。ここでは紹介できないが、当日撮影されたネルソンスの写真を見ると確かに痩せていて10歳くらい老け込んだような様子であった。心配である。

公演データ

セイジ・オザワ 松本フェスティバル2024

〇 オーケストラ コンサートBプログラム
8月16日(金)19:00、17日(土)15:00 キッセイ文化ホール(長野県松本文化会館)

指揮:沖澤のどか(アンドリス・ネルソンスの降板により変更)
管弦楽:サイトウ・キネン・オーケストラ
コンサートマスター
:豊嶋 泰嗣(第1番)
:矢部 達哉(第2番)

ブラームス
:交響曲第1番ハ短調Op.68
:交響曲第2番ニ長調Op.73

Picture of 宮嶋 極
宮嶋 極

みやじま・きわみ

放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。

SHARE :