ブッファを超えているスカラ座の「ドン・パスクワーレ」
異常な円高のせいで、日本人をあまり見かけないミラノだが、6月4日のスカラ座は満席で、数日前からチケットは1枚も残っていなかった。演目はドニゼッティ「ドン・パスクワーレ」。
このオペラの、欲深い老人が痛い目に遭うという筋書きは、オペラ・ブッファの伝統に即しているが、笑いを誘うだけの表層的なドラマではない。ドニゼッティはパスクワーレを微笑ましく眺めて共感を注ぎ、一方、この叔父に追い出され、相思相愛のノリーナとの結婚も叶わず絶望した若いエルネストの嘆きを、ロマン主義悲劇のように描く。事実、エルネストは絶望のあまり、ロマン主義の特徴である死への志向まで口にする。
じつは、イタリアの喜劇的なオペラの伝統に即した面と、ロマン主義的な感情表現とのハイブリッドのような作品で、ドニゼッティはどちらの面でも、強い共感を土台にした真実の感情を描いている。だから、すぐれた舞台では、深い人間悲劇を観るのと変わらないほど感情を揺さぶられる。この日もそうだった。
指揮のエヴェリーノ・ピドは、非常にエレガントに音楽をつむぐ。また、緩急や強弱のメリハリが効いて、ドニゼッティの音楽の底流にある趣味の良さを引き出しながら、ドラマを立体的に構築した。
ダヴィデ・リヴェルモーレが演出する舞台は、2018年の初演時にも鑑賞しており、ドン・パスクワーレ役はそのときと同じアンブロージョ・マエストリだった。劇場全体を圧するほどの声をもつ歌手で、2023年のボローニャ歌劇場日本公演における「トスカ」のスカルピアでは、力強さが際立ったが、軽い響きで柔軟に朗唱するのも、じつに上手い。
また、マラテスタ役のマッティア・オリヴィエーリには驚かされた。明瞭な言葉が載せられた明るい響きが心地よく、フレージングは安定し、音域を問わず声が見事に均質なのだ。洗練されたフレージングという点では、エルネスト役のローレンス・ブラウンリーも負けてはいない。自然に達する超高音もいつもながらに安定していた。ノリーナ役は、最近、頭角を現しているアメリカ出身のアンドレア・キャロルで、艶がある声で柔軟かつ華麗に表現するが、高音が響かないのは気になった。いずれ解消される弱点だとは思うが。
モノクロの無声映画の世界を意識し、ローマのチネチッタにおける映画「ドン・パスクワーレ」の撮影風景にも置き換えられたリヴェルモーレの演出は、豪華で趣味がよい装置を得て、ブッファの世界を超えたスケール感が表現されていた。
深く掘り下げられたガッティ指揮の「トスカ」
その前日の6月3日は、フィレンツェ5月音楽祭でプッチーニ「トスカ」を鑑賞したが、ダニエレ・ガッティの指揮が光っていた。
流麗と呼ぶよりはむしろ粘り気がある指揮で、テンポやリズムに大きな幅を持たせながら、強弱のあいだで音を精緻に運び、結果として、強い緊張感が表現される。緊張する場面が連続する「トスカ」だが、深く抑揚がつけられたガッティの音楽は、緊張と弛緩の間合いがすばらしく、激しい場面がいっそう引き立てられる。それでいて、オーケストラが歌の邪魔をしない。分厚い管弦楽が声をかき消すような場面は皆無だった。
トスカ役はスペイン系アメリカ人のバネッサ・ゴイコエチェア。細身の体形から強い声が発せられる。ヴィブラートが大きめで、弱音への声の運びが少し粗い点などは気になったものの、声に感情を上手に載せ、高い緊張感を維持する管弦楽との相性もよかった。
カヴァラドッシ役のピエロ・プレッティは、いつ聴いても外れがない。明るいリリックな美声で、流麗なフレージングを誇りながら、芯が強く、余裕をもって劇的に歌えるという、希少性が高いテノールである。この日も満足感は高かった。スカルピア役のアレクセイ・マルコフは、明るめの声でメリハリを利かせ、性格表現がたくみ。往年のセルゲイ・レイフェルクスを思い出させる。
マッシモ・ポポリツィオの演出は、舞台に大理石風の骨組みを築き、それがファルネーゼ宮やサンタンジェロ城など、各場面に準えられた。新規性はないものの、演劇的によく掘り下げられている点がガッティの指揮とマッチした。ガッティには幕ごとに大きなブラヴォーが飛んでいた。
公演データ
かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。