1970年代の札幌交響楽団
エフエム東京在籍時代、私が担当していたライブ番組のために、札幌交響楽団の演奏会を北海道で録音したことが何度かある。それは、ちょうど50年前——1973年のある浅い春の日に、札響事務局長の谷口靜司氏から収録と放送の依頼があったのがきっかけだった。当時の民放FM局はまだ東京・名古屋・大阪・福岡の4局だけで、「FM北海道」は誕生していなかったが、氏は「たとえ北海道でその放送が聴かれなくとも、東京などに札響というオーケストラの存在を知らしめるだけでいいのだ。それがいつかは役に立つ」というのである。いかにも敏腕家として知られた彼らしい発想であり、私もそういう意欲的な姿勢を持つ人が好きなので、ただちに札幌へ飛んでその4月の定期(ペーター・シュヴァルツ指揮)を下見し、次いで録音機材を東京から運んで5月の定期(秋山和慶指揮)を録音して放送し、かつその後数年の間にも何度か札響の演奏会を番組に乗せたのであった。
当時、初めて札幌市民会館で聴いた時の札響は、言っては何だが、まだローカル色というか、意欲はあるけれども、いわゆる「おらが町のオーケストラ」というイメージが抜け切れていない楽団だったのは、確かだろう。が、その頃から札響が急激に演奏水準を上げて飛躍し、今日の隆盛の先駆けとなるカラーを打ち出しはじめたのも事実なのである。私たちが録音した範囲で言えば、たとえば1974年9月定期で小澤征爾が客演指揮したベルリオーズの「幻想交響曲」の快演——これは当時横浜でエフエム東京の放送をオープンリールの「38㎝/2トラック」で録音していた方がおられて、はからずもそれを40年後になって聴かせていただく機会があった。そして、岩城宏之氏がシェフになってからの1976年12月定期での、初の「オール武満プロ」の清澄透明な演奏——この音源は現存しているのだが、CD化されないのが残念である——など。これらは、東京のオケをもしのぐ札響の金字塔ではなかったか、と思う。
2001年の英国演奏旅行
国内オーケストラの海外演奏旅行を同行取材したことは何度かあるが、札響が2001年10月~11月に行なった英国演奏旅行も、すこぶる印象的なものであった。全公演を指揮した尾高忠明音楽監督によれば、「英国の4つの国を全部回った外国オケはウチだけですよ」とのことなのだが、これは英国のイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの「4王国」をすべて訪れたという意味なのであって——英国は「連合王国(UK)」なのである——私などにはあまりピンとこない話ではあったが、とにかく「画期的なこと」なのだそうである。
私はその一部にしか同行できなかったのだが、特にウェールズの首都であるカーディフでの演奏会(11月1日)では、尾高氏の人気の高さに驚嘆した。彼はかつてBBCウェールズ響(現BBCウェールズ・ナショナル管)の首席指揮者を務めていたことがある(現在は桂冠指揮者)。札響との公演の日も「オタカが来るというので聴きに来た」と楽しそうにしている英国人(ウェールズ人?)に何人か出会ったものだ。札響がシベリウスの「第2交響曲」を、日本で聴くよりもはるかに色彩的に響かせて演奏したあと、尾高氏が「アンコールをやりましょう」と告げると客席から「イェーイ」と歓声が上がるという、実にアットホームな雰囲気なのである。
また、スコットランドの首都エディンバラのアッシャーホールでの演奏会もとりわけ印象深いものであった。ここには有名な古城があり、石畳の街路には「処刑台」の跡まで残るという、中世の雰囲気をそのまま伝えるすさまじい都市だが、その一角にあるホールの音響の良さは、英国では屈指のものといわれる。その日は招聘(しょうへい)元の手違いらしく客の入りが芳しくなかったものの、その少ない聴衆の前で札響は渾身(こんしん)の力を込め、最後まで真摯(しんし)に音楽を聴かせたのだった。ここで彼らが響かせたマーラーの「第4交響曲」は、私が半世紀にわたって聴いて来た札響の演奏の中でも群を抜いた素晴らしさで、万感胸に迫る音楽だったのである。
とうじょう・ひろお
早稲田大学卒。1963年FM東海(のちのFM東京)に入社、「TDKオリジナル・コンサート」「新日フィル・コンサート」など同社のクラシック番組の制作を手掛ける。1975年度文化庁芸術祭ラジオ音楽部門大賞受賞番組(武満徹作曲「カトレーン」)制作。現在はフリーの評論家として新聞・雑誌等に寄稿している。著書・共著に「朝比奈隆ベートーヴェンの交響曲を語る」(中公新書)、「伝説のクラシック・ライヴ」(TOKYO FM出版)他。ブログ「東条碩夫のコンサート日記」 公開中。