第51回 来日イタリア歌劇団の頂点、1961年の「第3次」(1)

数次にわたる「イタリア歌劇団」の来日の中でも、1961年秋の「第3次」は、とりわけ華やかだった。マリオ・デル・モナコが前回に続いて来日した。レナータ・テバルディが初来日した。そしてジュリエッタ・シミオナートも3度目の来日をした。性格派バリトン、アルド・プロッティも来た。しかもプログラムには、ヴェルディの「アイーダ」と「リゴレット」、プッチーニの「トスカ」、レオンカヴァッロの「道化師」、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」、そしてジョルダーノの「アンドレア・シェニエ」——と、ファンを熱狂させる人気作品が並んでいた。それに加え上演会場が、東京の音楽ファン待望の的だった、竣工して間もない豪華な東京文化会館大ホールに移されたのである。盛り上がらないわけはない。

まずメゾ・ソプラノのジュリエッタ・シミオナートがこの年も凄かった。彼女はすでに第1次イタリア歌劇団来日(1956年)の際に「フィガロの結婚」の小姓ケルビーノと、「アイーダ」のアムネリス王女を歌い、第2次(1959年)では「カルメン」の題名役などを歌って絶賛されていたのだが、筆者はいずれもテレビで観ただけだったので、その凄さの片鱗に接したのみだった。

だがいよいよ第3次来日で、彼女のアムネリスをナマで「観て、聴いた」時には、その役柄表現の深さとスケールの大きさには、心底から圧倒されたものである。エジプト王女としての強烈な自尊心から恋敵のアイーダを見下し、エジプト将軍ラダメスへの愛憎に悶えるアムネリス姫は、第4幕でそのラダメスと対決し、彼から拒否され、激怒し、かつ彼に刑の宣言を下した高僧たちを呪う。この場面でのシミオナートは、歌唱の完璧さと感情表現の激しさ、気品を失わぬ演技などで、まさに「偉大」という言葉に相応(ふさわ)しい存在だった。そこでは、さすがのデル・モナコも彼女に一歩を譲る、という感であった。つまり、声の美しさと強靭さではどんな相手にも引けを取らぬデル・モナコも、演技と歌唱の深みという点では、やはりシミオナートに——という意味である。これらは、ナマの舞台での空気感を伴ってこそ観客に伝わって来る類のものなのである。

シミオナートはこの第3次来日公演では「カヴァレリア・ルスティカーナ」のサントゥッツァも歌い演じていて、これも貫禄充分の風格、文句のつけようのない舞台だったことは言うまでもない。

アルド・プロッティも素晴らしかった。この人はちょっと地味な存在ではあったが、滋味という点では独特の良さがある歌手だった。たしか日本で彼の人気が爆発したのは、第2次の来日の際、「椿姫」の父親ジェルモンを歌い演じて、〝プロヴァンスの海と陸〟で名唱を聴かせた時ではなかったろうか。筆者はラジオでの中継を聴いただけだが、あのアリアがあれほど慈愛にあふれ、聴き手の心を温かく包みこむように歌われたのを聴いたことは、後にも先にもない。これは本当に素敵な音楽だ! と心底からうっとりさせられた経験はそう多くはないものだが、あのプロッティの歌には、そういう稀な感動を惹き起こさせるものがあったのである。

そして、この第3次の1961年。彼はかなりいろいろな役を歌ってくれたが、いずれも性格派歌手としての本領を発揮した舞台だった。「アイーダ」のエチオピア国王アモナズロを歌い演じ、「わしがアイーダの父だ」と歌い終ったあとに、オーケストラの一撃に合わせてエジプト軍の首脳の方へグイと顔を向ける瞬間の迫力。「アンドレア・シェニエ」の革命の志士ジェラールを歌い演じて、自らの立場と詩人への敬愛への板挟みになった苦悩を表現するあたりの巧さ。「道化師」のトニオ役での不気味な腹黒い演技——。

彼の「リゴレット」をFMで聴いた筆者が、彼の「Si, vendetta」(そうだ、復讐だ)の激しい歌い出しを聴き、「あの『Si』は、二重唱の始まりなのだから、もっと正確な音程で歌った方がいいんじゃないのかな」と友人に言うと、ナマで観たその友人が「でも、あの『Si』を叫ぶ瞬間、リゴレットは激怒して舞台の端から反対側まで飛び移るように動いて行くんですよ。あれを見れば、ああいう歌い方になるのも不思議はありませんよ」と答えていたのが、63年も過ぎた今でも記憶に刻まれている。どれかのオペラの上演が東京文化会館で行われている時、休憩時のロビーのテレビではちょうどその「リゴレット」の録画が放送されていたのだが、ある若い女性たちのグループが「わあ、プロッティよ!」と叫びながら集まって来た、という光景さえ見られたのだった。(次回に続く)

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東条 碩夫

とうじょう・ひろお

早稲田大学卒。1963年FM東海(のちのFM東京)に入社、「TDKオリジナル・コンサート」「新日フィル・コンサート」など同社のクラシック番組の制作を手掛ける。1975年度文化庁芸術祭ラジオ音楽部門大賞受賞番組(武満徹作曲「カトレーン」)制作。現在はフリーの評論家として新聞・雑誌等に寄稿している。著書・共著に「朝比奈隆ベートーヴェンの交響曲を語る」(中公新書)、「伝説のクラシック・ライヴ」(TOKYO FM出版)他。ブログ「東条碩夫のコンサート日記」 公開中。

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