第32回 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」日本初演の頃

1960年11月、日比谷公会堂で日本初演されたワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 写真提供:(公財)都民劇場
1960年11月、日比谷公会堂で日本初演されたワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 写真提供:(公財)都民劇場

「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が、この3月初頭にびわ湖ホールで、沼尻竜典指揮京都市交響楽団他により上演される。また4月の初めには、東京文化会館で、東京・春・音楽祭の一環として、マレク・ヤノフスキ指揮NHK交響楽団他の演奏で上演される。いずれも演奏会形式だが、華やかな時代になったものだ。

 

ワーグナーのこの大楽劇が日本で初上演されたのは━━それも舞台上演で━━1960年11月2日のことである。題名は当時の呼び方に従い、「ニュルンベルクの名歌手」だった。3、4、7、8日との計5回上演で、マンフレッド・グルリット指揮の東京フィルと二期会合唱団、演出はヴォルフラム・フンパーディンク(あの「ヘンゼルとグレーテル」の作曲者の子息)。歌手陣はすべて日本人で、騎士ワルター(柴田睦陸、宮本正)とその恋人エーファ(三宅春恵、日高久子)はダブルキャストだったが、靴屋の親方ザックスは、もう1人が降板してしまったので、秋元雅一朗が全日程通しで歌うという離れ業を演じた。その他の役柄は、すべてシングル・キャストだった。

 

当時の日本でのワーグナー上演と言えば、劇場ではわずかに「タンホイザー」と「ローエングリン」が、藤原歌劇団の手で行われたことがあるだけである。そして直近では、1959年8月15日に「ローエングリン」が、国立競技場で野外オペラとして上演されただけだった。それゆえ、いきなり大規模な「マイスタージンガー」を、しかもあの不備な舞台しかない日比谷公会堂でやるというのは、考えてみればずいぶん意欲的な大冒険だったに違いない。だが当時の人たちは、それでも敢えて挑戦することを怠らなかったのである。

 

私のナマ上演のワーグナー体験は、その野外オペラの「ローエングリン」が初めてだったから、「マイスタージンガー」は、私にとっても大イヴェントだった。まだ何も解らない時期でもあり、大いに楽しんだ。詳細なことは覚えていないが、フンパーディンクの演出が、実に細微だったことが強く印象に残っている。第3幕で徒弟ダフィト(高田信男)が師匠ザックスから「平手打ちの儀式」で職人に昇格させられる場面、恋仲のマクダレーネ(戸田敏子)がダフィトの打たれた頬を抱いて「痛かった?」という身振りをすると、ダフィトが笑って「ううん、全然!」という表情をしてみせるような「脇役の細かい芝居」は、当時の日本のオペラの舞台ではなかなか観られなかったものである。意地悪で狡猾な書記ベックメッサーを歌った斉藤達雄がすこぶる巧く、言葉を重視した少し崩した歌い方で観客を笑わせ、舞台を攫(さら)っていたのも鮮明な記憶だ。

 

グルリット指揮の東京フィルの演奏は、当時の私にはそれほど欠点としては聞こえなかったが、何しろテンポが遅い。それに(私にはしかと判らなかったが)あちこちカット、カットの連続で、フンパーディンクが怒りで顔をこわばらせた、という話も聞いた。6時という信じられぬ開演時刻だったから、終演は11時半を過ぎる。第2幕後の休憩時間には、場内アナウンスが「歌合戦の場は11時何分頃になる予定です」と告げ、客を失笑させたほどである。それゆえワーグナーのオペラの長さに辟易したのか、途中で帰ってしまう客も少なくなく、私ども悪童連は、2階席後方の安いチケットを買っていたのに、最後の頃には2階席の最前列近辺に来て観ていたという具合であった。そして終演後には、もう人影もまばらな深夜の街頭や新橋駅で、ベックメッサーの可笑しなセレナーデを真似しては騒いでいたものであった。

 

当時の批評がどうだったかは、初心者だった私はあまり熟知していないが、今も手許にある1961年1月号の「音楽芸術」誌で、高名な寺西春雄氏が「冒険のないところに進歩はない」と、この上演の意義を認めながらも、会場の不備によるオーケストラと声楽のバランスの悪さや、日程上の問題から来る歌手の声のセーヴの問題を指摘し、「張りきった熱意は汲み取れるが、特攻精神の悲壮さばかりがひしひしと迫ってきて」と書いているのが印象的だ。また同誌では高崎保男氏も、上演の努力と意義を評価しつつも、日本のオペラ界がこれから進む道があまりに厳しいことを再認識する結果となった、という意味のことを書いている。こういう意見もまた、63年前のオペラ界の現実を反映したものであることは間違いない。

 

ちなみに、東京文化会館が開館するのは、この上演の半年後であった。もしそこでこの日本初演が行われていたら、もう少し印象も異なったものになっていたような気もする。

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東条 碩夫

とうじょう・ひろお

早稲田大学卒。1963年FM東海(のちのFM東京)に入社、「TDKオリジナル・コンサート」「新日フィル・コンサート」など同社のクラシック番組の制作を手掛ける。1975年度文化庁芸術祭ラジオ音楽部門大賞受賞番組(武満徹作曲「カトレーン」)制作。現在はフリーの評論家として新聞・雑誌等に寄稿している。著書・共著に「朝比奈隆ベートーヴェンの交響曲を語る」(中公新書)、「伝説のクラシック・ライヴ」(TOKYO FM出版)他。ブログ「東条碩夫のコンサート日記」 公開中。

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