近年、オペラの演奏会形式での上演が増えているが、この春はいつも以上に多く、わずか半月の間に、筆者はヴェルディの「仮面舞踏会」、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、R・シュトラウスの「平和の日」、プッチーニの「トスカ」の4つのオペラを聴いた。そして、オーケストラをピットに入れるのではなく舞台にあげての演奏会形式でのオペラ上演は、実は多様であることを、それらの公演に触れて実感した。
まずは、多少の演技や演出の入る、セミ・ステージ形式。東京二期会の「平和の日」がそれだった。舞台構成の太田麻衣子が事実上の演出を務めた。簡単な舞台のセットが組まれ、映像も入り、歌手たちは指揮者&オーケストラの手前のスペースで歌唱する。停戦し平和に至る物語を描くオラトリオ的なオペラは、こういう折衷的な舞台に合っていた。日本初演の意義は大きい。
東京・春・音楽祭の「イタリア・オペラ・アカデミーin東京vol.3」でのリッカルド・ムーティ指揮の「仮面舞踏会」は、歌手たちが指揮者とオーケストラの間に立って全く演技を入れずに歌うコンサート・スタイル。全員が譜面台の楽譜を見ながら、ムーティの指揮に従って歌う姿は、まさにムーティ先生のアカデミーという雰囲気であった。
東京・春・音楽祭の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」では、ベテランのマレク・ヤノフスキが指揮を執った。こちらは、歌手陣が指揮者&オーケストラの前方で歌うというもの。ほぼ全員が譜面台を立てて歌っていたが、ベックメッサー役のアドリアン・エレートのみが譜面台を置かず、完全に暗譜で多少の振りを付けての歌唱を繰り広げた。エレートを聴いていると、音楽だけに集中するよりも、体を含めて役に集中する方が、歌唱が魅力的になるように思われた。
東京・春・音楽祭の最後の演目「トスカ」は演奏会形式だったが、さすがに名作レパートリー、急きょ代役を務めたカヴァラドッシ役のイヴァン・マグリ以外は全員暗譜で、自分流の軽い演技をつけて歌っていた。圧巻はスカルピア役のブリン・ターフェル。世界的スター歌手であるターフェルは今まで何度スカルピアを歌ってきたことだろう。豊富な舞台経験で積み上げた自分自身のスカルピア像を思う存分披露してくれた。もしもオペラの舞台ならば、ターフェルであっても、演出家のスカルピア像に従わなくてはならない。しかし、演出家のいない演奏会形式だからこそ、逆説的ではあるが、ターフェルの至芸によってオペラの舞台以上にオペラの醍醐味(だいごみ)を体験することができた。経験豊かな名歌手の魅力に触れるには、歌手に演技も任せた演奏会形式こそ、最高の舞台となることが分かった。
今年は、これからもR・シュトラウスの「エレクトラ」(東京交響楽団)、「サロメ」(神奈川フィル、京都市交響楽団、九州交響楽団)、レオンカヴァッロの「道化師」(日本フィル)の演奏会形式上演が続く。とりわけR・シュトラウスの多彩なオーケストラの扱いは、ピットよりも舞台上での演奏の方が明晰(めいせき)に聴こえるので、それらがとても楽しみだ。
やまだ・はるお
音楽評論家。1964年、京都市生まれ。87年、慶応義塾大学経済学部卒業。90年から音楽に関する執筆を行っている。著書に、小澤征爾の評伝である「音楽の旅人」「トスカニーニ」「いまどきのクラシック音楽の愉しみ方」、編著書に「オペラガイド130選」「戦後のオペラ」「バロック・オペラ」などがある。