~108~ アニバーサリーのオーケストラ

昨年、100周年を前にマーラー・フェスティバルへ出演し、国外でも存在感を高めるNHK交響楽団 (C)Milagro Elstak
昨年、100周年を前にマーラー・フェスティバルへ出演し、国外でも存在感を高めるNHK交響楽団 (C)Milagro Elstak

2026年は、NHK交響楽団が創立100周年を迎えるが、それと同時に、東京交響楽団の創立80周年であり、日本フィルハーモニー交響楽団の創立70周年であり、京都市交響楽団の創立70周年でもある。

NHK交響楽団は、1926年(大正15年)10月5日に新交響楽団の名称で結成された。1924年、山田耕筰は近衛秀麿らと日本交響楽協会を設立。1925年3月に東京放送局(JOAK)が日本で初めてのラジオ放送を開始すると、クラシック音楽の重要性を認識し、日本交響楽協会を援助し始めた。そして、1926年8月に日本放送協会(NHK)が発足。ちょうどその頃、近衛は山田との楽団経営に関する考え方の違いから、多くのメンバーとともに日本交響楽協会を離れ、10月に新たに新交響楽団を結成し、それは現在のN響につながっていく。新響は、NHKのサポートを受けていたが、自主運営のオーケストラであった。その後、1942年にNHKも共同設立者に加わって財団法人化し、日本交響楽団と改称。そして1951年にNHK交響楽団となった。

N響は、創立100周年に際し、ウェブサイトで「N響100年」記念ページを開設。そこにある演奏会記録のデータベース(アーカイブ)は、非常に有用である。N響の過去100年にわたる演奏会が、日付、出演者、曲目などで検索できる。10月の創立100周年記念演奏会では首席指揮者ファビオ・ルイージがマーラーの交響曲第2番を取り上げる。

東京交響楽団は、1946年に東宝交響楽団として創設された。戦後間もない頃、東宝の舞台芸術や音楽部門を強化する目的で作られたのであった。1951年に東宝から離れ、東京交響楽団に改称。ラジオ東京(TBSの前身)と出演契約を結んだ。しかし、1964年にTBSとの契約が切れ、東響は完全な自主運営オーケストラとして歩むことになる。

創立80周年にロレンツォ・ヴィオッティが音楽監督に就任するのは喜ばしい限りである。ヴィオッティは、9月に東響創立80周年を記念して、フランツ・シュミットの大作、「7つの封印の書」を指揮する。

京都市交響楽団は、1956年4月に当時の京都市長である高山義三の発案で、日本で唯一の自治体直営のオーケストラとして創立された(ただし、2009年から財団法人が運営)。創立70周年の目玉は、常任指揮者・沖澤のどかとのプロコフィエフの交響曲全曲演奏会(全3回)に違いない。

日本フィルは、1956年6月22日、文化放送の専属オーケストラとして創立された。その後、フジテレビも日本フィルのサポートに加わった。しかし、1972年に両社が支援を打ち切り、財団が解散。楽団は、日本フィルと新日本フィルハーモニー交響楽団とに分裂してしまった。以後、日本フィルは、市民とともに歩むオーケストラとして、演奏活動を発展させている。創立70周年記念演奏会としては、6月22日の創立記念日に、首席指揮者カーチュン・ウォンがマーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」を指揮する。

こうやってざっと眺めると、日本のオーケストラの創設には、放送などのメディアが大きく関わっていたことがわかる。また、一方、地方自治体がオーケストラを創設するという意味では、京響が先駆けとなった(その後、東京都交響楽団や兵庫芸術センター管弦楽団などが続いていく)。今や日本のオーケストラも、欧米のそれらと比べて決して短くない歴史を持つこととなったのである。

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山田 治生

やまだ・はるお

音楽評論家。1964年、京都市生まれ。87年、慶応義塾大学経済学部卒業。90年から音楽に関する執筆を行っている。著書に、小澤征爾の評伝である「音楽の旅人」「トスカニーニ」「いまどきのクラシック音楽の愉しみ方」、編著書に「オペラガイド130選」「戦後のオペラ」「バロック・オペラ」などがある。

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