~99~ マーラー・フェスティバルとマーラーの交響曲の醍醐味

マーラー・フェスティバル2025に参加したファビオ・ルイージ率いるNHK交響楽団=コンセルトヘボウ 大ホール (C) Jessie Kamp
マーラー・フェスティバル2025に参加したファビオ・ルイージ率いるNHK交響楽団=コンセルトヘボウ 大ホール (C) Jessie Kamp

この5月、NHK交響楽団がアムステルダムのコンセルトヘボウで開催されている「マーラー・フェスティバル2025」に参加した。コンセルトヘボウは、マーラー自身が自作を指揮したホールであり、そのオーケストラもマーラーとの縁が深い。今年のマーラー・フェスティバルには、N響のほか、ベルリン・フィル、シカゴ交響楽団、ブダペスト祝祭管弦楽団が招かれ、もちろん、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団も演奏した。まさに世界最高峰のマーラー・フェスティバルである。

こういうのを見ると、日本でもマーラー・フェスティバルができればいいのにと思う。アムステルダムのように一つのホールやマネージメントが単独で主催するのではなく、複数のホールやマネージメントやオーケストラが横断的に共催すればいい。来日オーケストラのプログラムの名曲化が著しい昨今、マーラーの全交響曲を分担する形にすれば、第5番ばかり(この1年間だけでも、東京ではMETオーケストラ、ロンドン・フィル、フランクフルト放送交響楽団、ウィーン・フィル、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団、トーンキュンストラー管弦楽団が演奏)が取り上げられることもないだろう。あるいは、首都圏のオーケストラが集う、ミューザ川崎シンフォニーホールの「フェスタサマーミューザKAWASAKI」でマーラー・フェスティバルを開催してくれないものだろうか。N響だけでなく、マーラーをしばしば取り上げている首都圏のオーケストラは、世界レベルのマーラー演奏を聴かせてくれる。

マーラーの交響曲は20世紀半ばまでは、オーケストラにとっては技巧的に難しく、聴衆にとっては長すぎるとして、あまり演奏されることがなかった。しかし今ではオーケストラにとって必須のレパートリーとなっている(それでも曲によって演奏頻度の多寡はあるが)。

マーラー自身が一流の指揮者であったことからも、オーケストレーションにはかなりのこだわりがあり(スコアでは指揮者への指示の書き込みがおびただしい)、その独自の書法や管弦楽法の再現が、マーラー演奏においてかなり大きなポイントとなる。そして、それをどう聴くかもマーラー作品を鑑賞する上での楽しみである。

合唱を伴い、壮大な世界観を描くマーラーの交響曲=マーラー・フェスティバル2025 N響公演より (C)Milagro Elstak
合唱を伴い、壮大な世界観を描くマーラーの交響曲=マーラー・フェスティバル2025 N響公演より (C)Milagro Elstak

しかし、マーラーが本当に聴衆に伝えたかったことは、スコアの細部へのこだわりよりももっと大きな世界観ではなかったかと思う。第1番と第4番を除いて、そのほかの7曲はどれも1時間を超える長大な作品である。そのうち、第2番、第3番、第8番は合唱も入る巨大な音楽である。マーラーは、専門家だけではなく、一般の聴衆に自分の世界を体験してほしいと熱望していたに違いない(そうでなければ、ああいう巨大で破天荒な作品を書かなかっただろう)。指揮者の山田和樹は、マーラーの交響曲を演奏する上で、最後は奏者の「ヒューマン・パワー」が大切だと言っていた。マーラーの交響曲の演奏が高みにまで達することができるかできないかは、最終的にはオーケストラのメンバーの一人ひとりが発する人間力にかかっているということなのであろう。マーラーの交響曲の醍醐味は、長い時間をかけないと語れない大きなものを、多人数でしか作れない巨大な音楽を、〝体験〟することにあると筆者は思っている。

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山田 治生

やまだ・はるお

音楽評論家。1964年、京都市生まれ。87年、慶応義塾大学経済学部卒業。90年から音楽に関する執筆を行っている。著書に、小澤征爾の評伝である「音楽の旅人」「トスカニーニ」「いまどきのクラシック音楽の愉しみ方」、編著書に「オペラガイド130選」「戦後のオペラ」「バロック・オペラ」などがある。

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