今年の夏、秋に2つの国際指揮者コンクールを取材した。一つはひろしま国際指揮者コンクール、もう一つは東京国際指揮者コンクール。東京国際指揮者コンクールは、1967年に始まり、今年が20回目にあたる。前回までは、東京国際音楽コンクール〈指揮〉の名称が使われていたが、今回から、東京国際指揮者コンクールに変更された。一方、ひろしま国際指揮者コンクールは2022年に始まり(初回は次世代指揮者コンクールという名称)、今年が2回目の開催となった。
「ひろしま」でユニークなのは、審査委員の構成。5人の審査委員のうち、指揮者はクリスティアン・アルミンク(審査委員長、広島交響楽団音楽監督)と沼尻竜典の2人だけで、あとはヴァイオリニスト(コンサートマスター)の荒井英治、作曲家の細川俊夫、音楽評論家の片山杜秀が務めた。その審査委員の過半数が指揮者以外という構成には、ある種の主張を感じる。つまり、指揮者は、指揮者だけによって良し悪しを判断されるべきなのであろうか、それでは指揮の技術を競うコンクールになってしまうのではないか、指揮者は、自分で音を出さない存在ゆえに、その優劣は、より多くの視点や角度から測られるべきものではないか、という主張である。
「東京」では、9人が審査委員を務め(審査委員長は尾高忠明)、うち6人は現役の指揮者であり、あと、ヴァイオリニスト(ウィーン・フィル・コンサートマスター)兼指揮者のライナー・ホーネック、シカゴ交響楽団総裁ジェフ・アレクサンダー、BBCフィルのプロデューサー、マイク・ジョージという構成であった。
どちらのコンクールにも、オーケストラ賞と聴衆賞があり、オーケストラ賞は、本選で演奏したオーケストラの楽員の投票で決まり、聴衆賞は、当日聴きに来ていた聴衆の投票で決まる。筆者には、オーケストラ賞が、コンクールのなかで最も意味のある賞ではないかと思われる。コンテスタントの指揮を見て、弾きやすかったか、面白かったか、感動的であったかなど様々な要因でプレイヤーによって投じられた1票は、その指揮者の良し悪しを最も顕著に表すのではないだろうか。もちろん、聴衆の視点も大事である。
指揮者コンクールでは、既にプロとして活躍している者とまだ学生の身分の者とが同じ土俵で審査される。「ひろしま」の応募資格は40歳以下、「東京」は38歳以下。「ひろしま」も「東京」も、プロとして活動を行っているコンテスタントの上位入賞が目立った。「東京」では本選に2人の学生が進んだが、経験豊富な上位入賞者との間ではかなり差があるように感じられた。コンクールの場合、現時点での実力のみで測るのか、年齢の低い者には伸びしろ(原石としての可能性)をプラスするのか、判断の分かれるところである。いち早く若い才能を見出して、世界に紹介することがそのコンクールの第一義であれば、伸びしろを考慮することも必要だろう(本当にもっと若い人のための登竜門にしたいのなら、応募資格の年齢を下げるべきであろう)。しかし、そうでないとすれば、年齢、キャリア関係なく、そのコンクールでの演奏のみで判断されるべきだと思う。
やまだ・はるお
音楽評論家。1964年、京都市生まれ。87年、慶応義塾大学経済学部卒業。90年から音楽に関する執筆を行っている。著書に、小澤征爾の評伝である「音楽の旅人」「トスカニーニ」「いまどきのクラシック音楽の愉しみ方」、編著書に「オペラガイド130選」「戦後のオペラ」「バロック・オペラ」などがある。