今年は、アントン・ブルックナーの生誕200周年で、例年以上にブルックナーの交響曲が演奏されている。ブルックナーの交響曲は巨大で、第5番や第8番などは、その1曲だけで一晩の演奏会のプログラムとなることもしばしばである。オーケストラ界にとっては最重要な作曲家の一人ではあるが、同時に彼は聴き手の好き嫌いが最も大きく分かれる作曲家の一人ではないかと思われる。
ブルックナー嫌いの人々の意見をまとめると次のようになるのではないだろうか。作品が長い(確かに1つの楽章が20分を超え、全体で1時間を超える交響曲がいくつもある)。どれも同じように聴こえる(弦楽器の霧のようなトレモロで始まり、長大なアダージョ楽章があり、などなど)。反復の多さ(同じような音型が延々と繰り返される)。いきなり騒音のような音楽になる(金管楽器の突然の強奏)などなど。
でも、そういう欠点こそが、ブルックナーの交響曲の魅力ともいえる。長いからこそ、長いものでしか語れない内容が表現できる(ワーグナーのオペラもそういうところがある)。交響曲冒頭の弦楽器の刻みはブルックナーの世界への誘いであるし、長大なアダージョ(おそらくそのモデルはベートーヴェンの交響曲第9番の第3楽章)は、ブルックナーの音楽の醍醐味といえる。彼は、多彩なものを示してみせるのではなく、自分が書きたい一つの(宗教的な)世界観に何回もトライし、ただそれが各々の交響曲によって多少形が変えられていただけなのではないかと私は思う。音型の反復は、退屈よりもむしろ快感という人もいるだろう。そして、金管楽器のいきなりの強奏は、大きな音を出して喜ぶ子供の心に通じるところがあるように感じられる。
ブルックナーと対極にある作曲家はショパンに違いない。ショパンの音楽は、小さな作品のなかで、練り上げられた音によって、きわめて洗練されたミニチュアの世界が展開される。ブルックナーはその反対。どちらかといえば、素朴で、粗野で、人によってはダサく感じられる。だから、ショパンの世界観を好む人に無理やりブルックナーを勧めることはできない。もちろん、どちらの世界も大好きだという人もいるだろうが。
私が、ブルックナーの音楽をおススメしたいのは、ミニマル・ミュージックが好きな人へ。私はブルックナーの繰り返しの音型にミニマル・ミュージックを感じずにはいられない。たとえば、最高傑作といわれる第8番の終楽章のコーダでヴァイオリンが反復する上昇音型。あるいは代表的宗教曲「テ・デウム」の冒頭で弦楽器が繰り返す「ドソソド」の音型。そして反復される音型の上では金管楽器などがロング・トーンを吹奏し、音楽が高揚していく。ミニマル・ミュージックに似ていないだろうか?
前述の特徴から、ブルックナーの音楽は、受け入れられない人がいても当然だと思う。私はといえば、ブルックナーは大好きな作曲家である。ブルックナーの交響曲には、長いものでしか語れない内容、つまり、時間をかけないと得られない感動があるからである。
やまだ・はるお
音楽評論家。1964年、京都市生まれ。87年、慶応義塾大学経済学部卒業。90年から音楽に関する執筆を行っている。著書に、小澤征爾の評伝である「音楽の旅人」「トスカニーニ」「いまどきのクラシック音楽の愉しみ方」、編著書に「オペラガイド130選」「戦後のオペラ」「バロック・オペラ」などがある。