8月1日、パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌のアカデミー生たちによって編成される「PMFオーケストラ」の東京公演で、ブルックナーの交響曲第9番の補筆完成版を聴いた。ブルックナーが、交響曲第9番の第3楽章までを書き上げ、第4楽章の作曲を手掛けている間に亡くなったことはよく知られている。そして、通常、コンサートでは、交響曲第9番は第3楽章までが演奏されて、終了とされる。しかし、この日はニコラ・サマーレ、ジョン・アラン・フィリップス、ベンヤミン=グンナー・コールス、ジュゼッペ・マッツーカの4人によって補筆完成された第4楽章(頭文字をとったSPCM版の2012年最終改訂版)も続けて演奏された。トーマス・ダウスゴーは全曲を暗譜で指揮した。
補筆完成に当たった4人が最も腐心したのは、残された素材の再構築であった。第4楽章では、楽章の半分以上にあたる素材が残されていたが、冒頭部分とコーダの自筆譜が残されていないので、そこは推測による創作をするしかなかった。しかしその創作は、4人の共同制作の姿勢からもわかるように、補筆者の個性を表現するものではなく、あくまでブルックナーならどうするかを最優先した、いわばブルックナーへのオマージュというべきものであった。実際に第4楽章全体を聴いた印象は非常に充実感があり、コラールなどは感動的に思われた。
未完の作品の補筆がなされる際、なるべく補筆者の個性が反映されない方がよいと思うのは私だけではないだろう。そう考えるとき、これから先は、そういう作業を人工知能(AI)にやらせるのはどうだろうかと思う。AIに、その作曲家が亡くなるまでの(特に晩年の)作曲技法を徹底的に学習させ、それに従って残された断片を再構成させ、一つの作品として完成させる。将来、そういうことが可能になるのかどうかはわからないが、それを想像してみるのは楽しい。
あとはオーケストレーションを施すのみであった、マーラーの未完の大作、交響曲第10番のアレンジをAIにやらせればどうなるのだろう? ムソルグスキーのピアノ組曲「展覧会の絵」をムソルグスキーの管弦楽法で編曲させればどうなるのだろう? と空想するだけでも楽しい。プッチーニの「トゥーランドット」は、残された素材を使って、チャットGPTに台本を完成させて、それに曲をつけてさせてみたい。リムスキー=コルサコフやショスタコーヴィチが補筆したムソルグスキーの「ホヴァンシチナ」も同様である。ベルクの「ルル」やシェーンベルクの「モーゼとアロン」も未完のオペラ。ともに作曲者が書いた台本が最終幕まで残されているので、それにAIに作曲させてみるのも面白いと思う。十二音技法とAIの相性は良さそうである。
人間とAIとの創作の境目が曖昧になりつつあるこれから先、人間とAIでどんなコラボレーションができるのか? 以上、真夏の夜の妄想でした。
やまだ・はるお
音楽評論家。1964年、京都市生まれ。87年、慶応義塾大学経済学部卒業。90年から音楽に関する執筆を行っている。著書に、小澤征爾の評伝である「音楽の旅人」「トスカニーニ」「いまどきのクラシック音楽の愉しみ方」、編著書に「オペラガイド130選」「戦後のオペラ」「バロック・オペラ」などがある。