ただ純粋な音の響きを追い求めた久末のピアノが明晰なリスト、アルミンク&広響はあたたかみのあるストレートなワーグナーを聴かせる
2024年4月から音楽監督を務めているクリスティアン・アルミンクが指揮して、リストのピアノ協奏曲第1番と、ワーグナーの「ワルキューレ」第1幕とを演奏した。コンサートマスターは三上亮。
協奏曲でのソリストは久末航。白色の光を当てたように明晰(めいせき)な演奏で、リストの作品の演奏によくついて回るようなヴィルトゥオーゾ(名人主義とでもいうべきもの)的な表現や、ロマン的な色彩感などを一切排除した、ただ純粋な音の響きのみに重点を置いたような演奏が、リストの作品を思いがけぬ裸形の姿で再現する。アルミンクの指揮は、これも飾り気ない率直なスタイルだが、広島響の演奏にはすこぶる力感があった。曲の後半で活躍するトライアングルがピアノの至近距離に位置し、控え目な音量ながら妙なるニュアンスを添えていたのが面白い。
後半のプログラムは、「ワルキューレ」第1幕の全曲。英雄ジークムントに村上敏明、館の主人フンディングに志村文彦、その妻ジークリンデに渡邊仁美。この3人がオーケストラの前方に位置しての演奏会形式上演である。
アルミンクは、これまでにも日本で「ローエングリン」と「トリスタンとイゾルデ」を指揮したことがあるが、その頃の演奏と比べると、音楽に少しあたたかさが感じられるようになっていたのは、年齢のせいか、それとも広響の個性のせいか。いずれにせよ、彼のワーグナー表現が基本的に誇張のないストレートな音楽構築であることは、以前と変わらないだろう。
歌手陣もそれに沿って、志村文彦は紳士然とした風格のフンディングといった歌唱で重厚な味を出し、渡邊仁美は控え目で優しいジークリンデを歌った。村上敏明のジークムントは、戦いに疲れた青年といった感だったが、もしやそれは今日の声の具合のせいだったか?
今回は歌いながらの演技や表情の変化などの演出は全くなく、全員がまさにオラトリオのようにほぼ直立不動、たんたんと歌い続けるという雰囲気の歌唱であった。それはそれで一つのやり方には違いないのだが、しかしこの「ワルキューレ」第1幕というのは、「剣の動機」を中心に、歌詞よりもオーケストラの受け持つライト・モティーフが雄弁にドラマを語って行くという音楽なのである……特にジークリンデが、トネリコに刺さっている剣をジークムントに目で暗示するくだりでは、ただオーケストラのみが全てを語る。そこでは、この曲を知悉(ちしつ)している聴き手はいいとしても、初めて聴く人にはその音楽がなにを意味しているのかよく解らないだろう。となれば、物語の内容も把握できないのではないか? それゆえ、歌手が少しは身振りでそれを説明した方が、聴き手に対して親切なのではなかろうか。
そう、もっと親切にと言うならもうひとつ、字幕のことだ。「ジークムント」の名前が「フリートムント」や「ヴェーヴァルト」など、さまざまな名で語られるくだりでは、それが各々「勝利を司る者」とか「平和を求める者」とか「悲しみを持つ者」とかいうような注釈の訳語を入れたほうが解りやすいのではなかろうか。私は2013年に、あるオーケストラがやはり今日と同じような字幕を使用して演奏会形式で上演した時、この曲を初めて聴いたらしいひとりの若い女性が友人に「なんであんなにいろんな名前を使うのよ」とぶつぶつ言っていたのを思い出すのである。
広島交響楽団はいい演奏をしていた。アルミンクのもとで、今後もレパートリーを存分に拡げて行っていただきたい。
(東条碩夫)
公演データ
広島交響楽団 第458回プレミアム定期演奏会
2月14日(土) 15:00広島文化学園HBGホール
指揮:クリスティアン・アルミンク
ピアノ:久末航
ジークムント(テノール):村上敏明
ジークリンデ(ソプラノ):渡邊仁美
フンディング(バス・バリトン):志村文彦
管弦楽:広島交響楽団
コンサートマスター:三上亮
プログラム
リスト(没後140年):ピアノ協奏曲第1番変ホ長調 S.124/R.455
ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」より第1幕(演奏会形式・字幕付き)
ソリスト・アンコール
リスト: 巡礼の年 第1年「スイス」より〝泉のほとりで〟
とうじょう・ひろお
早稲田大学卒。1963年FM東海(のちのFM東京)に入社、「TDKオリジナル・コンサート」「新日フィル・コンサート」など同社のクラシック番組の制作を手掛ける。1975年度文化庁芸術祭ラジオ音楽部門大賞受賞番組(武満徹作曲「カトレーン」)制作。現在はフリーの評論家として新聞・雑誌等に寄稿している。著書・共著に「朝比奈隆ベートーヴェンの交響曲を語る」(中公新書)、「伝説のクラシック・ライヴ」(TOKYO FM出版)他。ブログ「東条碩夫のコンサート日記」 公開中。










