クラウス・マケラ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 東京公演 ピアノ アレクサンドル・カントロフ

名門オケの新時代の旗手・マケラが高解像度の造型観と明敏な感覚を発揮

佳(よ)き伝統というものがあり、かけがえのない美徳があるのだとしたら、それを新しい美に向かって拓いていくことが新時代の旗手の仕事となるだろう。
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団がクラウス・マケラに近い未来を託したことは、そうした意気の表明であるはずだ。2シーズン後の首席指揮者就任が決まっているマケラだが、ここ5年ですでに60回を超える演奏会を指揮してきたという。コンセルトヘボウは奥ゆかしく艶やかな美を温かな響きで叶(かな)えるオーケストラとして、私には油彩画のイメージが色濃いが、マケラは高精度のレンズと鋭敏な運動感覚をもつ卓抜なアニメーターである。

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団©Simon Van Boxtel
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団©Simon Van Boxtel

この日はバルトーク晩年、アメリカ時代の代表作「オーケストラのための協奏曲」、前半にはアレクサンドル・カントロフを迎えて若きブラームスのピアノ協奏曲第1番ニ短調Op.15を組み合わせた。オーケストラ音楽の新たなかたちとヴィルトゥオージティをそれぞれ独創的に探った野心作で、90年ほどの年代の開きがあるが、いずれにせよここは21世紀だ。

バルトークから先に言うと、マケラの高解像度の造型観と明敏な感覚は、名門楽団の響きと作品の鮮やかで、清明な性格をバランスよく抽(ひ)き出すことに直結していた。必然的に、作品は多幸的で、言わば躁状態の表現には長じるが、たとえば「夜の歌」や昏(くら)くメランコリックな情調には深入りしない。蛙は啼くが、夜はこない。白夜とも違うだろう。
温かな色彩をもつ豊かな響きは、別大陸の機能的なオーケストラとは異なるかたちの洗練をみせるものと期待されたが、馥郁(ふくいく)たる薫(かお)りとか夜のにおいといったものは、少なくともアナログな私には感じとれなかった。マケラのスイッチングの瞬時の敏捷さは、楽団の持ち味たるなめらかさや潤いを活かすにはギャップが生じる局面も現時点ではあった。即効で簡単に行かないところがあるからこそ、今後の密接な歳月のなかで、指揮者と楽団が相互にもたらす進化や変容にはむしろ興味深い余地が広がっていると期待すべきだろう。

前半のブラームスでの共演だが、マケラとカントロフは同世代でいま20代終盤、ヨーロッパの非凡な才能として注目されるが、志向や内実は両極端とみられるほどに異なる。端折(はしょ)って言うと、マケラは見えるものを視(み)ようとし、カントロフは視えないものを際限なく観ようとしている。共通するのは、息づかいと興奮があること、どちらも明敏で鋭く鮮烈な表現をとることと、マケラは観念や余剰の重量を、カントロフは物理的な情量感を大きくもたないことか。それぞれに大きなアーチを描くのは得意だとしても、つまりは別次元で、かたや顕微者、かたや幻視者の資質がつよい。

アレクサンドル・カントロフ(C)Sasha Gusov
アレクサンドル・カントロフ(C)Sasha Gusov

主観的な没入とヴィルトゥオージティの効力をもって、ブラームスの初期作に臨むカントロフには、リストの後ろ盾がある。音量や色彩の豊潤ではなく、澄んだ響きと劇的な気魄でピアニスティックな表現を高揚させる。言いたいことのある没我のソロイストを立て、マケラは伴奏にまわるが、その方面での練達の巧さはまだ備わっていないようだ。指揮者の志向や資質だけでなく、オーケストラの質感ともきれいに、それこそ水と油のように分離して、「ピアノ伴奏つきの交響曲」の趣などはまったくない。アンコールの「イゾルデの愛の死」で聴かせたように、ピアニストがヴィルトゥオージティに託した孤高の精神の昇華があるばかりだ。

(青澤隆明)

公演データ

クラウス・マケラ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 東京公演
ピアノ アレクサンドル・カントロフ

11月17日(月)19:00サントリーホール 大ホール

指揮:クラウス・マケラ
ピアノ:アレクサンドル・カントロフ
管弦楽:ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

プログラム
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 Op.15
バルトーク:管弦楽のための協奏曲

ソリスト・アンコール
ワーグナー=リスト:「イゾルデの愛の死」

オーケストラ・アンコール
J.シュトラウスⅡ:ハンガリー万歳!

他日公演
11月18日(火) 19:00サントリーホール
※プログラムや出演者の詳細は、下記リンク先をご参照ください。
https://www.kajimotomusic.com/concerts/2025-rco/

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青澤 隆明

あおさわ・たかあきら

音楽評論家。東京外国語大学英米語学科卒。クラシック音楽を中心に、評論、エッセイ、解説、インタビューなどを執筆。主な著書に「現代のピアニスト30ーアリアと変奏」(ちくま新書)、ヴァレリー・アファナシエフとの「ピアニストは語る」(講談社現代新書)、「ピアニストを生きるー清水和音の思想」(音楽之友社)。

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