新国立劇場 2025/2026シーズン アルバン・ベルク「ヴォツェック」(新制作)

作品の真価に肉薄した新国立劇場 ベルク「ヴォツェック」の新プロダクション

新国立劇場(以下、新国)によるベルク「ヴォツェック」の新制作上演初日を観た。指揮は同劇場オペラ芸術監督の大野和士、英国のベテラン演出家リチャード・ジョーンズによるプロダクション。
「ヴォツェック」はドイツの劇作家ゲオルク・ビューヒナーによる未完の舞台作品「ヴォイツェック」をもとにベルク自身が台本を書き、全3幕15場からなるオペラに仕立てた。初演は管弦楽抜粋版「ヴォツェックからの3つの断章」が1925年6月にフランクフルトで、フルステージは同年12月にベルリンで行われており、今年はちょうど初演から100年にあたる。
記念の年に新国が世に問うたプロダクションは、シンプルながらもよく練り上げられたコンセプトと、それに沿った舞台上の無駄のない動きに感心させられる仕上がりとなっていた。約100分の短い作品ながら数多くの独立したシーンがあり、台本の設定に従うと頻繁なセット替えが必要。音楽的な難しさに加えて演劇的にも工夫が求められる難作とされる。

リチャード・ジョーンズ演出、アルバン・ベルク「ヴォツェック」(新制作) 写真:堀田力丸 提供:新国立劇場
リチャード・ジョーンズ演出、アルバン・ベルク「ヴォツェック」(新制作) 写真:堀田力丸 提供:新国立劇場

ジョーンズは新国の広い舞台を活用し、そこに小さな建物のようなセットをいくつか用意し、場面によってそれを入れ替えていくことでスムーズな進行を行い、台本にほぼ忠実な上演を実現させた。時代設定は第2次世界大戦後に移されていたようだが、そこに大きな違和感はない。登場人物は衣裳の色によってその立ち位置が表されている。大尉(アーノルド・ベズイエン)、鼓手長(ジョン・ダザック)の命令する側、立場の強い人、富裕層は赤色、命令される側、働かされる側は黄色、そしてヴォツェック(トーマス・ヨハネス・マイヤー)にいたっては黄色が汚れて黄土色に見える。貧困層であることを視覚面でも表しているわけだ。この色分けは意味を持っているのだが、これ以上はネタバレを避けるため触れないでおく。

立場の強い人、富裕層は「赤色」、命令される側、働かされる側は「黄色」というように衣裳が色分けされていた 写真:堀田力丸 提供:新国立劇場
立場の強い人、富裕層は「赤色」、命令される側、働かされる側は「黄色」というように衣裳が色分けされていた 写真:堀田力丸 提供:新国立劇場

題名役のマイヤーはこの役を得意としており、2009年にプレミエされた新国の前プロダクション(アンドレアス・クリーゲンブルク演出)でも歌っている。しかし、今回は著しい深化を遂げており、まるで役が乗り移ったかのような歌唱と演技は鬼気迫るものがあり、観客・聴衆をヴォツェックの不安定な精神世界へ強く引き込んでいった。

題名役のトーマス・ヨハネス・マイヤーは、まるで役が乗り移ったかのような、鬼気迫る歌唱と演技を披露した 写真:堀田力丸 提供:新国立劇場
題名役のトーマス・ヨハネス・マイヤーは、まるで役が乗り移ったかのような、鬼気迫る歌唱と演技を披露した 写真:堀田力丸 提供:新国立劇場

マリーを演じたアイルランド出身のジェニファー・デイヴィスは強い声を駆使したドラマティックさと、マリーの内面の弱さを表す繊細な表現をうまく使い分ける歌唱と演技。鼓手長のダザック、大尉のベズイエンもそれぞれこの役を得意としており、充実のパフォーマンスを繰り広げた。

マリーを演じたジェニファー・デイヴィスは繊細な表現をうまく使い分ける歌唱と演技が印象的だった 写真:堀田力丸 提供:新国立劇場
マリーを演じたジェニファー・デイヴィスは繊細な表現をうまく使い分ける歌唱と演技が印象的だった 写真:堀田力丸 提供:新国立劇場

大野は音楽監督を務める東京都交響楽団をピットに入れて、12音技法で書かれ、4管の大編成を要する技術的にも音楽的にも難しい楽譜から怪しい美しさを引き出していたのは見事であった。難しい作品になればなるほど大野のクレバーな手腕が冴(さ)えわたる。日本国内でこの作品をこうした水準で聴けるのはなかなかないだろう。ジョーンズの登場人物の深層心理を深く掘り下げた舞台と、大野による音楽の相乗効果によって作品の本質に改めて触れた思いがする上演であった。
(宮嶋 極)

ジョーンズの登場人物の深層心理を深く掘り下げた舞台と大野による音楽の相乗効果で作品の本質に触れることができた 写真:堀田力丸 提供:新国立劇場
ジョーンズの登場人物の深層心理を深く掘り下げた舞台と大野による音楽の相乗効果で作品の本質に触れることができた 写真:堀田力丸 提供:新国立劇場

公演データ

新国立劇場 2025/2026シーズン
アルバン・ベルク「ヴォツェック」(新制作)

11月15日(土)14:00 新国立劇場 オペラパレス

指揮:大野 和士
演出:リチャード・ジョーンズ
美術・衣裳:アントニー・マクドナルド
照明:ルーシー・カーター
ムーヴメント・ディレクター:ルーシー・バージ
舞台監督:髙橋 尚史

ヴォツェック:トーマス・ヨハネス・マイヤー
鼓手長:ジョン・ダザック
アンドレス:伊藤 達人
大尉:アーノルド・ベズイエン
医者:妻屋 秀和
第一の徒弟職人:大塚 博章
第二の徒弟職人:萩原 潤
白痴:青地 英幸
マリー:ジェニファー・デイヴィス
マルグレート:郷家 暁子

合唱:新国立劇場合唱団、TOKYO FM 少年合唱団
管弦楽:東京都交響楽団

プログラム
アルバン・ベルク「ヴォツェック」
(全3幕、ドイツ語上演 日本語・英語字幕付き)

※他日公演
11月18日(火)14:00、20日(木)19:00、22日(土)14:00、24日(月・祝)14:00新国立劇場 オペラパレス

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宮嶋 極

みやじま・きわみ

放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。

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