イタリア現地の最新「オペラ」鑑賞記(中)

ボローニャ歌劇場公演でノルマを歌うフランチェスカ・ドット。来日公演でも同役を歌う (C)Andrea Ranzi
ボローニャ歌劇場公演でノルマを歌うフランチェスカ・ドット。来日公演でも同役を歌う (C)Andrea Ranzi

イタリア現地の最新「オペラ」鑑賞記(上)はこちら

脇園彩が輝いたボローニャの「ノルマ」

今年11月、ボローニャ歌劇場が4年ぶりの日本公演を行う。その演目のひとつベッリーニ「ノルマ」を3月19、21、23日と3回鑑賞した。現在、歌劇場が大規模な改修中で、中央駅から旧市街と反対方向に2キロほどの仮設劇場が会場だった。

 

Bキャストの19日は、ノルマを歌ったマルティーナ・グレシア(ソプラノ)に驚かされた。ローマ生まれの25歳というが、この難役を当たり前のように歌っている。どの音域も旋律が自然な声で満たされ、ディナーミクも自在で、超弱音まで制御されている。精神性を深めるのはこれからとして、音大の大学院を出たくらいの年齢でこの役を歌えてしまっているのがすごい。彼女の名を記憶しておいて損はない。

ノルマを歌うマルティーナ・グレシア (C)Andrea Ranzi
ノルマを歌うマルティーナ・グレシア (C)Andrea Ranzi

紙数がないので先に進むと、21日と23日のノルマは、日本公演でこの役を歌うフランチェスカ・ドット(ソプラノ)だった。ロール・デビューだそうだが、知性を感じさせる端正な歌唱で、ニュアンスを変化させてノルマの多面的な感情を見事に描き分ける。「Son Io 私です」と罪を告白した達観後にしかえられない、やさしさに満ちた響きの色合いが印象に残った。

 

ドットとの組み合わせでポッリオーネを歌ったのはステファン・ポップ(テノール)。特筆すべき声量がありながら必要に応じて甘い響きやピアニッシモを加え、この役がベルカントの申し子であることを忘れさせない。ノルマとの最後の二重唱で「Ah! Troppo tardi 遅すぎる」と歌った、諦念がにじむ甘い声が耳に残った。

 

3人のアダルジーザを聴いたが、23日の脇園彩が圧倒的に輝いていた。コロナ禍にレガートの猛練習を重ねたと聞いていたが、歌唱水準は想像を超えていた。磨かれたレガートは美しい倍音に包まれ、高いド(C)までストレスなく上昇し、強弱の往来も巧み。どの旋律にも悩めるアダルジーザの心が深く織り込まれていた。

 

ピエール・ジョルジョ・モランディは伝統的な指揮で、劇的なのはともかく音楽が重くなるのが気になった。近現代の戦争に舞台を移した演出は、かつてのソプラノ、ステファニア・ボンファデッリによるものだ。

アダルジーザを歌う脇園彩 (C)Andrea Ranzi
アダルジーザを歌う脇園彩 (C)Andrea Ranzi

レベカの「ノルマ」、リーニフの「シチリアの晩鐘」

4月19日と20日には、パレルモのマッシモ劇場で「ノルマ」を鑑賞した。32歳のロベルト・パッセリーニの指揮がすばらしく、緩急自在でテンポは極端なまでに伸縮するが、それによって音楽とドラマが、がぜん生きる。また、シンプルなオーケストレーションから、きわめて多彩な情報を引き出す。

 

私の聴き落としがなければノーカットで、カバレッタなどの繰り返しも省略せず、繰り返す際は重唱でもバリエーションを付けさせた。作品が成立した時代の様式に敏感で、それを再現する才能に恵まれている。

 

ノルマは19日がデジレ・ランカトーレ(ソプラノ)。期待していなかったが、拾い物をした感がある。この役に必要な強い表現も身に付き、尻上がりに調子を上げて精神性の高い表現を聴かせた。

 

だが、圧巻は20日にノルマを歌ったマリーナ・レベカ(ソプラノ)だった。これほど高貴で厳粛な「清らかな女神」は記憶にない。常に一定の音圧がかかった声は質感が高く、強弱の変化も自在。見事なアジリタが絡むカバレッタは力強いが、どんなに力強く歌ってもエレガントに響く。

ノルマを歌うマリーナ・レベカ (C)Rosellina Garbo
ノルマを歌うマリーナ・レベカ (C)Rosellina Garbo

ポッリオーネを歌ったディミトリー・コルチャック(テノール)の、ベルカントを強く意識させる歌唱との相性も抜群で、初演当時の様式を踏まえた指揮を得て、最高峰の「ノルマ」だった。

 

4月21、22日はボローニャの、前月と同じ仮設劇場でヴェルディ「シチリアの晩鐘」を鑑賞した。21日にエレナを歌ったのは、2月に新国立劇場で「ファルスタッフ」のアリーチェを歌ったロベルタ・マンテーニャ(ソプラノ)。声の端々までコントロールを行き届かせて感情を乗せる、力ある歌手なのがよくわかった。いわゆる美声ではないが、フォルテまでじつに美しく響かせる。アッリーゴはジョン・オズボーン(テノール)の降板が残念だったが、ステファノ・セッコも悪くはない。

右からリッカルド・ザネッラート(プローチダ)、ロベルタ・マンテーニャ(エレナ)、ステファノ・セッコ(アッリーゴ) (C)Andrea Ranzi
右からリッカルド・ザネッラート(プローチダ)、ロベルタ・マンテーニャ(エレナ)、ステファノ・セッコ(アッリーゴ) (C)Andrea Ranzi

だが、いちばんの立役者は音楽監督のオクサーナ・リーニフで、女性ではじめてバイロイト音楽祭で指揮したウクライナ出身の指揮者の作る音楽が別格だった。序曲から各フレーズの意味やニュアンスが濃密に表現され、ドラマの運びがじつに生き生きとして、すべての音が引き締まっている。そこにエレガンスも欠けていない。

 

会うと細くて小さいチャーミングな女性で、指揮姿とのギャップに驚かされる。ボローニャ歌劇場は躍進するかもしれない。

Picture of 香原斗志
香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

SHARE :