チョン・ミョンフン指揮 ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団 ピアノ:藤田真央

輝かしさと深さのバランスがとれた人間的な音楽

数日前、私はスカラ座でオペラを鑑賞したが、オーケストラ・ピットにいつもの管弦楽団はいなかった。アジア・ツアーに出ていたからである。

1曲目のヴェルディ「運命の力」序曲からスカラ座フィルらしさが漲(みなぎ)った。チョン・ミョンフンはいつもよりメリハリの利いた身振りで音楽を重厚に導く。アルヴァーロとカルロの二重唱からとられた旋律など、別の曲のようにゆっくり奏され、そこから一気に畳みかける。ヴェルディらしい起伏と少し違うようでいて、このオーケストラらしい艶やかで輝かしい響きで、縦のラインに頓着しすぎずに歌い続けるので、むしろ輝かしさと深みのバランスがとれる。マエストロはすべて計算ずくなのだろう。

ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団を指揮したチョン・ミョンフン ©T.Tairadate
ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団を指揮したチョン・ミョンフン ©T.Tairadate

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のソリストは、スカラ座との縁も深い藤田真央。客席に目立った女性の多くは藤田がお目当てだったと思われる。そのピアノは濁りのない深い音色で、第1楽章の序奏から、主旋律はもちろん、すべての音が明瞭に聴こえる。特に第2楽章は圧倒的で、テンポが微細に変化しながら、そのすべてに意味が込められ、どの音にも一切の濁りがない。第3楽章でピアノはさらに鮮明さを増し、管弦楽との丁々発止も鮮やかだった。アンコールはシェーンベルクの6つの小さなピアノ曲から。

ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」では藤田真央がソリストを務め、濁りのない深い音色を聴かせた ©T.Tairadate
ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」では藤田真央がソリストを務め、濁りのない深い音色を聴かせた ©T.Tairadate

この日のメインはチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。第 1楽章は遅めのテンポではじまり、悲劇性が強調されつつ決して重くならない。マエストロの指揮はかなりエッジが利き、展開部の主旋律など流れるというより、自覚的かつ意志的に生成するように導かれる。だが、スカラ座フィルならではの澄んだ艶やかな響きのおかげで、胸苦しい悲嘆には聴こえない。哀愁の背後にどこか明るさが漂い、だから余計に胸に迫る。

第2楽章のワルツも、スカラ座フィルらしいカンタービレが映え、第3楽章のスケルツォと行進曲にも、弾むようなリズム感が活(い)かされる。そして第4楽章。悲しみを帯びた状況を表す「ラメントーゾ」と記されたこの楽章も、特に弦の響きが分厚いのに重く流れない。暗そうでいて繊細に移ろう。マエストロ・チョンは、スカラ座フィルのこうした特性を知悉(ちしつ)したうえで、メリハリをつけつつ掘り下げる。結果として浮き立つしなやかな哀感は、重々しい「悲愴」よりも悲愴感で胸を締めつけるように感じられた。

それはアンコールで奏されたマスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲の、いわば通俗的な哀感にも通じた。その通俗性、すなわち理屈をこねる前に人間感情そのものであるような音楽こそ、スカラ座フィルの神髄である。その後、ロッシーニ「ウィリアム・テル」序曲から「スイス軍」の行進も演奏された。
(香原斗志)

スカラ座フィルの神髄である人間感情そのもののような音楽に、会場から拍手喝采が沸き起こった ©T.Tairadate
スカラ座フィルの神髄である人間感情そのもののような音楽に、会場から拍手喝采が沸き起こった ©T.Tairadate

公演データ

チョン・ミョンフン指揮 ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団  ピアノ:藤田真央

9月22日(月)19:00サントリーホール 大ホール

指揮:チョン・ミョンフン
ピアノ:藤田真央
管弦楽:ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団

プログラム
ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 Op.18
チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 Op.74「悲愴」

ソリスト・アンコール
シェーンベルク:6つの小さなピアノ曲Op.19-6

オーケストラ・アンコール
マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より〝間奏曲〟
ロッシーニ:歌劇「ウィリアム・テル」より〝序曲〟

他日公演
9月23日(火・祝)14:00横浜みなとみらいホール 大ホール
9月24日(水)19:00サントリーホール 大ホール
https://tempoprimo.co.jp/stage/y2025/fds

9月26日(金)18:45愛知県芸術劇場コンサートホール
https://cte.jp/43cf/performance03/

9月27日(土)14:00フェニーチェ堺(大阪府)
https://www.fenice-sacay.jp/event/27378/

※他日公演のプログラム等、詳細は各公式サイトをご参照ください。

Picture of 香原斗志
香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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