イム・ユンチャン ピアノ・リサイタル

自由なバッハ——ヴィルトゥオーゾ作品として提示された「ゴルトベルク変奏曲」

韓国出身の新星、イム・ユンチャンによるJ.S.バッハ「ゴルトベルク変奏曲」。すでに10代の頃から公開の場で弾くことを切望していたというレパートリーで、去る4月にはパリでも、ニューヨークでも、リサイタルで取り上げていた。それがいよいよ東京に上陸したのである。

イム・ユンチャンがいよいよ東京でJ.S.バッハ「ゴルトベルク変奏曲」を披露した(C)池上直哉
イム・ユンチャンがいよいよ東京でJ.S.バッハ「ゴルトベルク変奏曲」を披露した(C)池上直哉

この作品を「古楽」の枠でとらえるなら、あり得ない!ということになるかもしれない。それほどに自由なバッハである。一瞬テンポが宙吊りになりそうになったアリアからして予兆はあったが、その尋常ならざる様が、次第に明らかになっていった。

カノンが進行する中、二次的と思われるような音の綾を強調する。過剰なほど装飾を施す。最終音に長いトリルをかける。記譜より1オクターブ上を弾く。短いカデンツァのような即興を挟む。オフビートを効かせ、ポップスのようなノリで行く。高速プレイでは、ギネス新記録を目指すかのように突き進む……。

「古楽」の枠ではとらえきれない、自由なバッハが展開される(C)池上直哉
「古楽」の枠ではとらえきれない、自由なバッハが展開される(C)池上直哉

そうしたあれこれが、しかし嫌味にならないのはなぜか。第一に、あくまでもポリフォニーの豊かさを損なわないからだろう。音像を濁すということが、まったく無い。第二に、どんなに即興的に見えても、諸々のコントラストから成る「構成」を見据えているから。繰り返しはすべて履行。第16変奏の前で一区切りを置くのは常識としても、第25変奏(最後のト短調ピース)の前で一息もふた息も入れる。そうして、同変奏から最終変奏までを、遠大なアダージョで導入される一つのストレッタ部として捉えるのだ。ここで見せたクレッシェンドやアッチェレランドを伴う感情のうねりには、鬼気迫るものがあった。

クレッシェンドやアッチェレランドを伴って鬼気迫る感情のうねりを聴かせた(C)池上直哉
クレッシェンドやアッチェレランドを伴って鬼気迫る感情のうねりを聴かせた(C)池上直哉

この楽曲を、最良の意味でのヴィルトゥオーゾ作品として提示してみせたイム。鳴りやまない喝采に、ついに折れて弾いたアンコールは、シンプルな単旋律、「ゴルトベルク変奏曲」からアリアの左手(バス主題)であった。なるほど。

なお、冒頭にイムの元学友でもあるイ・ハヌリが作曲した5分ほどのピースがあった。客のためというより、イムにとって、これを弾くのがバッハに入るにあたって必要なのだろう。

(舩木篤也)

なかなか鳴りやまない喝采に応え、アンコールとして「ゴルトベルク変奏曲」から「アリア」の左手を弾いた(C)池上直哉
なかなか鳴りやまない喝采に応え、アンコールとして「ゴルトベルク変奏曲」から「アリア」の左手を弾いた(C)池上直哉

公演データ

イム・ユンチャン ピアノ・リサイタル

7月7日(月)19:00東京オペラシティ コンサートホール

ピアノ:イム・ユンチャン

プログラム
イ・ハヌリ:…ラウンド・アンド・ベルベティ・スムース・ブレンド…(2024)
J.S.バッハ: ゴルトベルク変奏曲BWV988

アンコール
J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲より主題「アリア」の左手

Picture of 舩木 篤也
舩木 篤也

ふなき・あつや

1967年生まれ。広島大学、東京大学大学院、ブレーメン大学に学ぶ。19世紀ドイツを中心テーマに、「読売新聞」で演奏評、NHK-FMで音楽番組の解説を担当するほか、雑誌等でも執筆。東京藝術大学ほかではドイツ語講師を務める。著書に『三月一一日のシューベルト 音楽批評の試み』(音楽之友社)、共訳書に『アドルノ 音楽・メディア論』(平凡社)など。

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