新時代の旗手による室内楽的な対話と積極的な交感がアンサンブルの喜びを開花させる
とにかくよく見える。視(み)え過ぎるほどだ。コンタクト・レンズを作り直したみたいに、視界は良好、すべてが明瞭。そして、明るい。明快、明敏、明晰、明解、明確、明白……。形容していくならば、明という字義が多用されることになろう。
クラウス・マケラとパリ管弦楽団がシェフ4年目のシーズンの締め括(くく)りともなるアジア・ツアーに出た。名コンビの来日はパンデミックさなかの2022年10月以来だが、気鋭の指揮にもオーケストラとの関係にも変容と成熟がみてとれた。

シェフ2年目の始まりが、マケラの利発で聡明なリーダーシップが強い牽(けん)引力をもつ〝魔法のタクト〟のようにオーケストラを惹(ひ)きつけていた〝恋と憧憬の季節〟であったとすれば、ここにいたってはさらに室内楽的な対話と積極的な交感が相乗的に高揚し、信頼と協調の感が色濃い。ひとつには今回、ノリノリのコンサートマスター、アンドレア・オビソを筆頭に、首席の名手たちを中心に織りなされる対話が、マケラの巧緻な統制とバランス設計のなかに、ラテン的な性格と開放的な自由を熱く吹き込み、アンサンブルの喜びをいっそう開花させた面もあるだろう。
サン=サーンスとベルリオーズによるフランス交響曲の夜に続いて、ラヴェルの組曲づくしの贅沢(ぜいたく)な一夜を味わった。最後のピアノ独奏曲となった「クープランの墓」、こどものための連弾「マ・メール・ロワ」の自編版に、ムソルグスキーの「展覧会の絵」のオーケストレーションという三種三様の性格をもつフル・コース。ラヴェル生誕150年のセレブレーションともなるが、新時代のレンズで透過したような精細な演奏表現が冴(さ)え渡った。
色彩と活動に富むスペクタクルな美質、いわば視覚的とも絵画的とも称えるべきパリ管の持ち味が存分に活かされ、色彩と筆づかいが沸き立つ。精細にいたる現前性がとにかく高い。音の粒子がみえるようだ。

演奏会前半は2つの組曲でア・ラ・カルトの名品を順序よく盛りつけ、ムソルグスキーからの編曲では全曲を歩む物語性が俄然際立ってくる。
諸所のプロムナードの性格づけから聡明で、曲ごとの情景と叙述の巧みさには随所で驚嘆させられた。たとえば「ビドロ」でも、油絵の具の厚塗りではなく、あくまで表現の輪郭を鮮やかに音響の空間的バランスを精細にとった上で、曲の重苦しい情緒と質感を浮かび上がらせるのだ。ふたりのユダヤ人のコントラスト、市場の細かなおしゃべりの併行性など、各曲の情景もじつに巧みに描き出される。組曲が終盤を進み、いよいよグロテスクな方向で盛り上がる際にも、重力や音圧で押し切るのではなく、表現の精度と洗練味で盛り立てていく。きわめてエレガントでスマートな流儀のもとに。
明敏な可視化とストーリーテリングの精妙さが相俟(ま)って、覚醒した細部と鋭敏なスリルが際立った表現効果をもたらすのが、瞠目(どうもく)すべきマケラの魅力だ。昔ふうに言えばスクリーンは影を映し、ディスプレイは光を放つものだが、彼の指揮はやはりどこまでも光彩の照射の性格が強く、目くるめく眩(まばゆ)さを冷静に統御している。まさしく新時代の旗手の目である。
(青澤隆明)

公演データ
クラウス・マケラ指揮 パリ管弦楽団2025
6月20日(金) 19:00サントリーホール 大ホール
指揮:クラウス・マケラ
管弦楽:パリ管弦楽団
コンサートマスター:アンドレア・オビソ
プログラム
ラヴェル:組曲「クープランの墓」
ラヴェル:バレエ音楽「マ・メール・ロワ」(組曲版)
ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」
アンコール
ビゼー:歌劇「カルメン」より前奏曲

あおさわ・たかあきら
音楽評論家。東京外国語大学英米語学科卒。クラシック音楽を中心に、評論、エッセイ、解説、インタビューなどを執筆。主な著書に「現代のピアニスト30ーアリアと変奏」(ちくま新書)、ヴァレリー・アファナシエフとの「ピアニストは語る」(講談社現代新書)、「ピアニストを生きるー清水和音の思想」(音楽之友社)。