ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団 名曲全集第207回

壮麗で雄大、下野と東響の「我が祖国」

下野竜也が指揮するスメタナの連作交響詩「我が祖国」を評者が聴くのは、サイトウ・キネン・オーケストラ、読響との演奏に続き、これが3度目になる。だが、この日の東京交響楽団との「我が祖国」は、それらとは全く異なる柔軟な表情にあふれた、壮大で流麗な趣を持つ快演であった。

名曲全集に下野竜也が登場。スメタナの連作交響詩「我が祖国」を指揮した(c)池上直哉
名曲全集に下野竜也が登場。スメタナの連作交響詩「我が祖国」を指揮した (c)池上直哉

例えば読響を指揮した時の演奏では、クライマックスに達した時でもテンポを几帳面に保持した、感情を敢えて抑制した生真面目な表現という印象を免れなかったのだが、今回は「シャールカ」にせよ「ボヘミアの森と草原から」にせよ、あるいは終曲「ブラニーク」にせよ、その終結個所ではテンポを猛烈に煽(あお)り立て、加速し、ほとんど忘我的と言えるほどの熱狂的な頂点をつくり出していたのである。これを下野竜也の芸風の変貌と称していいのかどうかは、今の評者には断言できないけれども、いずれせよ解放的でエキサイティングで、好感を呼ぶ素晴らしい指揮であったことは事実なのだった。

この日の彼の指揮は、描写音楽的な要素の濃い「モルダウ」と「シャールカ」では、光景や出来事をリアルに描き出す演奏というよりは、むしろ滔々(とうとう)たる音楽の流れに重点を置いた、シンフォニックな表現に徹していたのではなかろうか?その解釈には、多少の異論を申し立ててもいいかもしれない。ただ、それに物足りなさを覚えたとしても、具体的な描写性の少ない「ボヘミアの森と草原から」の演奏における壮大な流れ、鮮やかな色彩感の変化、大詰め個所での壮絶きわまる昂揚などを聴けば、スメタナの管弦楽法の威力と、ひいては「我が祖国」という作品のもつ凄さを再認識させられることになったことには間違いないのである。

下野の指揮は、滔々たる音楽の流れに重点を置いた、シンフォニックな表現に徹していた (c)池上直哉
下野の指揮は、滔々たる音楽の流れに重点を置いた、シンフォニックな表現に徹していた (c)池上直哉

その下野竜也の指揮に柔軟に呼応し、奔流の如き強大な演奏を繰り広げた東響もまた見事だったと言わなければならない。小林壱成をコンサートマスターとする弦楽器群の豊かに波打つ響きが、実に快い。そして、第1曲「ヴィシェフラド(高い城)」冒頭の伸びやかなホルンは、まるで空の彼方からゆっくりと湧き出て来る美しい雲のような表情で物語の開始を告げていた。このホルンをはじめ、「モルダウ」の「月光の場面」でゆらめくフルート、あるいは「ブラニーク」中間部で織りなされる木管群など、今回は東響の管楽器群の美しさもひときわ光っていたのだった。

全6曲、休憩なしの演奏。緊迫感に満ちた「我が祖国」であった。
(東条碩夫)

東響が下野の指揮に柔軟に対応し、見事な演奏を繰り広げた (c)池上直哉
東響が下野の指揮に柔軟に対応し、見事な演奏を繰り広げた (c)池上直哉

公演データ

ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団 名曲全集第207回

5月17日(土)14:00ミューザ川崎シンフォニーホール

指揮:下野竜也
管弦楽:東京交響楽団
コンサートマスター :小林壱成

プログラム
スメタナ:連作交響詩「我が祖国」全曲
1.ヴィシェフラド(高い城)
2.ヴルタヴァ(モルダウ)
3.シャールカ
4.ボヘミアの森と草原から
5.ターボル
6.ブラニーク

Picture of 東条 碩夫
東条 碩夫

とうじょう・ひろお

早稲田大学卒。1963年FM東海(のちのFM東京)に入社、「TDKオリジナル・コンサート」「新日フィル・コンサート」など同社のクラシック番組の制作を手掛ける。1975年度文化庁芸術祭ラジオ音楽部門大賞受賞番組(武満徹作曲「カトレーン」)制作。現在はフリーの評論家として新聞・雑誌等に寄稿している。著書・共著に「朝比奈隆ベートーヴェンの交響曲を語る」(中公新書)、「伝説のクラシック・ライヴ」(TOKYO FM出版)他。ブログ「東条碩夫のコンサート日記」 公開中。

連載記事 

新着記事 

SHARE :