マッツォーラの指揮で深く掘り下げられた悲劇
栗山民也演出による舞台は、2005年にお披露目されてから20年、これで8度目の再演となる。一定程度の抽象化によってむしろ美しく、シンプルななかにドラマのツボが視覚的にも整理され、すぐれた演出だと思う。だから、はじめての人にはお勧めできるが、筆者のようにこれが9回目となると、いささかのマンネリ感を覚えそうだった。

しかし、結果としてそうはならなかったのは、東京フィルを指揮したエンリケ・マッツォーラの功績である。管弦楽がドラマを深く掘り下げ、熟知している演出だからなおさら、プッチーニがオーケストレーションに込めたドラマに集中でき、それに酔いしれることになった。
冒頭の序奏では、若干速めのテンポかと思ったが、進むにつれ、速いとか遅いとかいう評価が相応(ふさわ)しくないと気づかされた。テンポはドラマに応じて柔軟かつ緻密に変化し、デュナーミクが非常に大きい。それでもたしかな様式感があり、そのなかでプッチーニの生命線でもある美麗な旋律が、豊かな情感とともに浮き上がる。
たとえば、第1幕の蝶々さんとピンカートンの二重唱では、主役2人の甘い愛の表現を管弦楽が盛り上げ、煽り、2人の鼓動であるかのように歌唱を支える。こうして幸福の絶頂が強調されたから、以後の悲劇が色濃くなったのはいうまでもない。

たとえば、第2幕第2部の冒頭に置かれた間奏の、全合奏による強烈な悲劇的色彩。シャープレスとピンカートンが蝶々さん宅を訪れ、スズキを驚かせてからの三重唱では、三者三様の心持を管弦楽が鮮やかになぞった。蝶々さんが絶望したのち、木管による呪いの動機の強奏からは、この悲劇的状況を大きな起伏とともに深層にいたるまで、プッチーニが管弦楽で描いていたことを、はじめて知らされた気がした。マッツォーラのもとでは、休符による無音までが強く心に響いた。
とはいえ、歌唱があってのすぐれた管弦楽である。蝶々さんの小林厚子は、弱音のコントロールと高音域での柔軟性には難もあり、登場の場面やアリアでは安定性に欠ける面もあった。しかし、第2幕第1部のシャープレスとのやりとりや、第2部のフィナーレは圧巻の表現力で、少女の声をつくりながら、そこに強い意志や絶望を込めて見事だった。

ピンカートンのホセ・シメリーリャ・ロメロは、伸びやかな声でレガートを流麗に歌い、この男の直情的な性格をよく表現した。シャープレスのブルーノ・タッディアは、誠実な歌いっぷりでどの声域も発声が安定し、この役に適任だった。スズキの山下牧子とゴローの糸賀修平も、てらいがない高水準の歌唱だった。

マッツォーラはこれらの歌手にしっかり歌わせながら、管弦楽の強奏を歌唱に重ねない配慮も行き届いていた。歌唱と管弦楽が相まって悲劇を雄弁に描く。そんな当たり前のことの意味を、あらためて教わったように思う。
(香原斗志)
公演データ
新国立劇場2024/2025シーズンオペラ
ジャコモ・プッチーニ「蝶々夫人」
5月14日(水)18:30新国立劇場 オペラパレス
指 揮:エンリケ・マッツォーラ
演 出:栗山民也
美 術:島 次郎
衣 裳:前田文子
照 明:勝柴次朗
再演演出:澤田康子
舞台監督:佐々木まゆり
蝶々夫人:小林厚子
ピンカートン:ホセ・シメリーリャ・ロメロ
シャープレス:ブルーノ・タッディア
スズキ:山下牧子
ゴロー:糸賀修平
ボンゾ:妻屋秀和
ヤマドリ:吉川健一
ケート:佐藤路子
ほか
合唱指揮:冨平恭平
合 唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
プログラム
ジャコモ・プッチーニ「蝶々夫人」
全2幕〈イタリア語上演/日本語及び英語字幕付〉
※他日公演
5月17日(土)14:00、21日(水)14:00、24日(土)14:00新国立劇場 オペラパレス

かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。