バッハの究極の組曲集が知的かつ明晰に奏された
なかなか出合えない意欲的な演奏会だった。J.S.バッハが他者から依頼されてではなく、みずから出版するために作曲した「クラヴィーア練習曲集」。実際に出版されたことが確認されている4巻のうち、第1日(3月22日)に第1巻と第2巻を、第2日(23日)に第3巻を一挙に演奏するという試みで、第1日を聴いたが、14時に開演し、終演は17時30分だった。

なにしろ、第1巻の「6つのパルティータ」だけでも20分の休憩をはさんで2時間半である。ふたたび休憩をはさんだ後、第2巻の「イタリア協奏曲」と「フランス風序曲」も演奏した。バッハが職人的な意識を超え、芸術家として世に問うべく気合を入れて書いた曲の数々。まとめて耳に届けられると、書法の充実ぶりが強く印象づけられる。

大塚は「6つのパルティータ」について、「バッハは舞曲の要素を鍵盤で表現した」と語ったが、そのチェンバロの演奏も、こうした解説と同様に知的かつ明晰(めいせき)。聴き手に「挑戦状」を突きつけるかのように種々の技が集大成された各曲が、透明かつシャープな音でバランスよく奏される。チェンバロ自体、過剰な響きとは無縁の明晰さを備えていると思うが、そんな楽器の特性が最大限に活かされ、すべての音が粒立ちながら過不足なく響く。そして舞曲のリズム感や躍動感が、よい意味で端正に表現される。
大塚の演奏には、曖昧さやためらいがまったく感じられない。確信をもってあるべき音をあるべき姿に響かせており、結果、安定的に構築される曲が美しく清々しい。だから、長さをまったく感じない。

続く「イタリア協奏曲」と「フランス風序曲」は、「ヴァイオリンを中心としたオーケストラの音を2段鍵盤のチェンバロで表現する曲」だと大塚。実際、透明感のある音を重ねて合奏風の厚みを表現した。たとえば「イタリア協奏曲」のプレストなど、華やかで流麗な演奏だったが、バランスは決して崩れない。幸福な3時間半だった。
(香原斗志)
公演データ
C×Baroque 大塚直哉が誘うバロックの世界 Vol.4バッハからの〝招待状〟or〝挑戦状〟!?~出版された「クラヴィーア練習曲」シリーズより~
3月22日(土)14:00神奈川県民ホール 小ホール
チェンバロ:大塚直哉
プログラム
J.S.バッハ:クラヴィーア練習曲集より
第1巻 6つのパルティータ
第2巻 イタリア協奏曲、フランス風序曲
※3月23日(日)の公演の詳細は、下記ホームページをご参照ください。

かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。