昔ながらの味わいを大切にした「椿姫」
ニューヨークのメトロポリタン歌劇場(メット)が1975年に最初の日本ツアーを行った時、ヴェルディの「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」が演目に入っていたことを上演中に思い出した。当時のヨーロッパではもう、ストレートプレイ並みの演技力を要求するムジークテアーター(音楽劇場)全盛期に入っていたが、メットのプリマドンナ、ジョーン・サザーランドはほとんど仁王立ちのまま、完璧な歌唱技術で客席を圧倒した。

小澤征爾の長年のコラボレーター、今回の音楽塾「椿姫」の演出を担ったデイヴィッド・ニースはメットの元首席演出家で「歌の時代」のイタリア・オペラの見せ方を熟知している。昨年(2024)のセイジ・オザワ松本フェスティバルの「ジャンニ・スキッキ」ではフィレンツェ、今回の「椿姫」はパリの景色を背景に使い、物語の舞台設定を幕開けから明確に伝える。簡素ながらセンスのいい装置や小道具にもメットの米国内ツアーの趣があり、極端なアルテシェニカ(身体表現)を求めず、歌を際立たせる姿勢に徹するので、オペラに不慣れな観客も優れた歌手たちの名人芸に聴き惚れることができる。

音楽塾の首席指揮者、ディエゴ・マテウス(1984年ベネズエラ生まれ)は日本と中国、台湾、韓国の音楽学生からなる小澤征爾音楽塾オーケストラを丁寧に鍛え上げ、美しい響きを整えた。いくぶん遅めのテンポで旋律をたっぷりと歌わせ、オペラのステレオタイプ(固定観念)を尊重した音楽づくりはどこか懐かしく、作品の持ち味にも合致していた。

ヴィオレッタはアルメニア出身、ボリショイ劇場の研修所で学び、昨シーズンからイタリアの歌劇場でも主役に抜擢され始めたニーナ・ミナシアン(ソプラノ)。日本では2023年1月の東京ガーデンシアターでプラシド・ドミンゴ(バリトン)とともに「椿姫」第2幕の二重唱を歌い、注目を集めた。2年前に比べても歌の表情に細やかさを増し、薄幸のヒロインを全身全霊で演じた。とりわけ第3幕、「過ぎし日よ、さようなら」のアリアの最後で延々と引っ張った最弱音の美しさが印象に残る。恋人アルフレードのテノールはメットの育成プログラム出身の中国系オーストラリア人カン・ワン。豊かな声量、高音域まで一直線に伸びる美声で耳を惹きつけ、少し不器用な演技も直情径行の役柄には合致していた。ハワイ出身のバリトン、クイン・ケルシーも豊麗な声の持ち主で、理性と情の間に揺れる父ジェルモンを適確に描いた。3人の音量がメットの大舞台で十分通用する水準だったこともまた、「むかし懐かしい歌芝居」の世界にはふさわしかった。
(池田卓夫)
※取材は3月20日(木・祝)の公演
公演データ
小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトXXI ヴェルディ:歌劇「椿姫」
ROHM CLASSIC SPECIAL 全3幕 新制作原語(イタリア語)上演/日本語&英語字幕付
3月20日(木・祝)15:00、22日(土)15:00東京文化会館 大ホール
指揮:ディエゴ・マテウス(小澤征爾音楽塾首席指揮者)
演出:デイヴィッド・ニース
装置・衣裳:ロバート・パージオーラ
照明:イー・ツァオ
ヴィオレッタ・ヴァレリー:ニーナ・ミナシアン
アルフレード・ジェルモン:カン・ワン
ジョルジョ・ジェルモン:クイン・ケルシー
フローラ:メーガン・マリノ
アンニーナ:牧野 真由美
ガストン:マーティン・バカリ
ドゥフォール男爵:井出 壮志朗
ドビニー侯爵:町 英和
医師グランヴィル:河野 鉄平
管弦楽:小澤征爾音楽塾オーケストラ
合唱指揮 ドナルド・パルンボ
合唱:小澤征爾音楽塾合唱団

いけだ・たくお
2018年10月、37年6カ月の新聞社勤務を終え「いけたく本舗」の登録商標でフリーランスの音楽ジャーナリストに。1986年の「音楽の友」誌を皮切りに寄稿、解説執筆&MCなどを手がけ、近年はプロデュース、コンクール審査も行っている。