希代の美質を再認識した一夜
すっかり人気者になったピアニスト、藤田真央が、スクリャービン、矢代秋雄、ショパンによる「24のプレリュード」を並べたリサイタルに臨んだ。新譜の「72 Preludes」(ソニー)を、曲順を変えて実演に移した格好だ。ショパンから発した、平行調の組み合わせで5度圏をめぐる配列を採る3作品の妙味を、満喫させる一夜となった。
スクリャービンの作品11は16~24歳の間に作られた若書き。ショパンの影響下にありながら、後年の独創的な様式を予感させる曲想を、藤田は柔軟なタッチと滑らかなアーティキュレーション、温かい音色によって表出していく。全体に弱音の効果が目ざましい。そして長調作品では伸びやかな叙情を、短調作品ではパセティックな切迫感を旨とし、そのコントラストを印象づけた。
第3番や第21番に表れる左右で拍子が異なるポリリズムの効果も、あくまでスムーズで、角を立てない。「葬送行進曲」のモチーフが現れてショパンに接近する第16番の前で大きな間を取り、続く第17番や第23番では可憐な風情を漂わせた。
20世紀半ばの矢代秋雄作品で、藤田は曲のモダニズムに見合ったぬけの良いくっきりした音色とタッチにチェンジ。弱冠15歳の意欲作が放つ多彩なアイデアや独創性へ敏感に反応し、日本風の五音音階やリズム、不協和音へ意識を巡らせた。
第2、4、15曲に現れるユーモアやおかしみを鋭く掘り下げ、嬰ヘ短調の第8曲・バルカロール(舟歌)では、のどかな日本情緒をたっぷり演出した。白眉だったのはヘ短調の第18曲。藤田が「ししおどし」の動きを感じたと述べた通り、琴の響きを思わせるフレーズを、染み入る弱音を駆使して繊細に表現し尽くした。
最後のショパンでは、しなやかにうごめくロマンティックな流動感が光った。ハッと耳をそばだたせるのは、やはりコントロールが行き届いた弱音の美学だ。有名なイ長調の第7番などを詩情ゆたかに扱い、洗練された感覚を示した。
アンコールの矢代、リスト、そしてスクリャービンの幻想曲(作品28)という流れも一貫しており、この奏者の希代の美質を再認識させた。
(深瀬満)
公演データ
藤田真央 ピアノ・リサイタル -72 Preludes-
12月12日(木) 18:30サントリーホール
プログラム
アレクサンドル・スクリャービン:24のプレリュードOp.11
矢代秋雄:24のプレリュード
フレデリック・ショパン:24のプレリュードOp.28
アンコール
矢代秋雄:プレリュード第9番
リスト:巡礼の年「第2年イタリア」よりペトラルカのソネット第104番 S.161-5
スクリャービン:幻想曲ロ短調Op.28
ふかせ・みちる
音楽ジャーナリスト。早大卒。一般紙の音楽担当記者を経て、広く書き手として活動。音楽界やアーティストの動向を追いかける。専門誌やウェブ・メディア、CDのライナーノート等に寄稿。ディスク評やオーディオ評論も手がける。